御器所八幡宮(ゴキソハチマングウ・愛知県)の境内に

 

 

佐久間社があり

 

 

いやでも目立つ風の看板に

徳川家康公と佐久間美作守の名前がインパクト大。

 

 

お二人はどのようなご関係なのか

時代が違うし仲良しでもなさそうで

 

「やだ。いっしょに並べないでよ」と佐久間美作守

「オイラだって。やだ」と徳川家康公

 

草葉の陰でモメてるかと余計なおせっかいの老婆心を

平和っていいなああ、ときれいにまとめました(無理)

 

 

伝承では、小牧長久手の戦い(1584年)の前に

徳川家康公が島田城主大島氏の案内で

 

ここ御器所八幡宮に立ち寄り戦勝祈願し

のちに、家康公の依令で大島氏が社殿の造営したとのことです。

 

その戦勝祈願をした大島氏とは

美濃国出身で弓の名手の大島光吉(光義?)のことでしょうか。

 

島田城の城主は、代々

斯波氏一族の牧氏だったともいわれてますけれども。

 

小牧長久手の戦いの前ということは

家康公が居城の浜松城から拠点の清洲城へ向かう途中なのか。

 

わざわざ立ち寄るというのも

なんだかどうだか。

 

棟札という動かぬ証拠があるらしいので

つべこべあれこれまゆつば失礼(ほんと失礼ね)

 

御器所八幡宮となりの

醫王山神宮寺にもお参りいたしました。

 

 

橘稲荷大明神のお供えは柑橘類。

グレープフルーツがお好きなのでしょうかね。

 

 

ここから北へ向かい、八大龍王社の数軒隣に

瑞雲山龍興寺(曹洞宗)があり

 

 

1533年、御器所西城主の佐久間盛次が

一族の菩提寺として建立したといわれ

 

昭和20年の空襲で建物や書類を焼失し

佐久間一族の詳細もわからなくなってしまったらしいです。

 

 

石柱ありましたです。

「城主佐久間氏菩提廟」