春の陽気にさそわれて

尾陽神社(ビヨウジンジャ・愛知県)へ行ってきました。

 

 

初代尾張藩主・徳川義直(トクガワヨシナオ)に

おたずねもーそーな勢いを胸の奥に秘めて、そっと。

 

 

尾陽神社

 

 

創建は明治43年。

御祭神は天照大御神

    徳川義直命(初代尾張藩主)

    徳川慶勝命(最後の尾張藩主)

 

 

手水舎でおてて清め

 

創建が新しいためなのか

しがらみのないすっきりとした佇まい。

 

 

広場のような開放的な空気感。

ひとり貸切り状態で、だれもいませんでした。

 

社務所も閉まっていました。

 

 

拝殿でご挨拶。

正直なところ葵の御紋の威圧感がちょっと苦手かもしれない。

 

明治に旧尾張藩士達が中心となり

創建されたとのことです。

 

なぜ名古屋城付近で祀らなかったのか不思議。

尾張徳川家の拠点は名古屋城城下町あたりなんではないの。

 

この町の雰囲気に馴染んでいないような

ちぐはぐな気がしないでもないです(余計なお世話)

 

御祭神である徳川義直命の

幼名が五郎太丸(ゴロウタマル)で

 

尾張徳川家の嫡男の幼名は、必ず絶対ではないけれど

代々、五郎太と付けられたらしいです。

 

話は飛んで

柳田国男先生の『一目小僧』のなかに

 

「御霊を五郎と間違へて居た例は幾らもある」

 

間違いだよーって誰も注意しないのかと

ツッコミたくなる気持ちは置いといてですね‥

 

「信州上伊那郡赤穂の美女森の社の神を五郎姫神と謂い

 即ち日本武尊に侍かれた熱田の宮簀姫の御事だと申して居るが

 是などは姫神を五郎と言ふので殊に珍しく感ぜられる」

 

という記載があり

五郎姫イコール宮簀姫が腑に落ちなくてもやもや(個人的に)

 

美女森の社とは大御食神社(オオミケジンジャ・長野県)かと思われ

御祭神は日本武尊と五郎姫(イツイラヒメ)と八幡大神。

 

長野県伊那市には熱田神社(アツタジンジャ)があり

日本武尊東征の帰路ということで熱田神宮の分霊を勧請し

 

御祭神は天照大御神・日本武尊・八剱大明神で

本殿は1762年に建てられ

 

見事な彫刻がプチ東照宮のようらしく

東照宮といえば徳川家康ですよね。

 

徳川義直は大坂城(伏見城とも)で1601年に生まれ

幼名が五郎太丸。

 

紀州藩初代藩主の娘・春姫と婚姻のとき

父・家康から信州木曽の山林をお祝いに贈られたとも言われ

 

伊那地方の山林も幕府領としてあったとのことから

繋がりそうなあやしさぷんぷんでこーふん(ねごと)

 

星宮社で祀られている伊奈突智老翁の

伊奈は伊那の意味で良いのかとか(自問自答)

 

日本書紀では宮簀媛で

古事記では美夜受比売ですが

 

五郎姫が記紀に登場しないということは

後世おそらく江戸時代からの伝承かもしれない(憶測)

 

五郎姫と宮簀姫が、どんないきさつで同一となったのでしょう。

もしかして徳川家が細工したのでしょうか(たわごと)

 

五郎姫の五郎は五郎太丸の五郎なのか。

わからないことだらけ。

 

妙にひっかかってしまう(ひとりごと)

とりとめもなく混乱して遠い目してます。