先月11月下旬に

諏訪大社(スワタイシャ・長野県)へ行って参りました。

 

かねてから密かにあこがれていましたが

ハードル高く、ためらう気持ちでいました。

 

諏訪大社は4社で構成され

上社と下社があり

 

上社には、本宮と前宮があり

下社には、春宮と秋宮があり、と聞いた段階で

 

4社の関係をどう理解すればよろしいのかと

お粗末な頭が混乱し、途方に暮れるのでした。

 

出たとこ勝負、なりゆきまかせ

日帰りで4社を巡る弾丸バスツアーに参加しました。

 

美濃から諏訪に入るルートで

恵那から岡谷を通り

 

下諏訪町にある下社・春宮をはじめとして

参拝スタートしました。

 

 

凛とした清々しさ、透明感のある空気が美しい。

素朴だけれど、威風堂々としたスケールの大きさに圧倒されました。

 

 

 

手水舎は鳥居の手前にありました。

 

 

 

神楽殿、極太な注連縄がゴージャスです。

格子窓が特徴かなとも思いました。

 

神楽殿の後ろに見えるトーテムポールのような木が

右側にあるのが一の御柱で、左側が二の御柱です。

 

 

 

初「御柱」です。

白木なんですね、ごついです、樅の木ですって。

 

御柱、はじめてお目にかかりました。

今年が御柱祭なので、まだ柱が新しく若々しい感じでした。

 

この御柱を曳く時に、人間が乗り踏みつける扱いも不可解で

恭しく丁重に慎重に御柱を運ぶ様子には見えず

 

わかりにくさに戸惑うのですが

御柱の実物を目の当たりにして、たくましさが輝いて見えました。

 

 

 

訪れることができて光栄でございます。

感謝感激の思いをお伝えしてご挨拶。

 

拝殿の後方に

御神木の杉の木があるとのことですが

 

木がたくさん繁り(言い訳)

どの木なのかわかりませんでした。

 

ご神紋は梶の葉。

下社は根が5本で、上社は根が4本の違いがあるそうです。

 

自由観光の制限時間は25分。

転ばないよう気合い入れ

 

はやる気持ちの猛ダッシュで

次に向かったのは

 

万治の石仏(マンジノセキブツ)

高さは2.6m、横幅は3.8mとのことです。

 

 

1660年(万治3年)に造られたそうで

手の組みかたは阿弥陀如来らしく

 

胴体(?)左胸に卍マークが彫られてますが

右マンジ(逆マンジ卐)なので何を意味しているのかとか。

 

万治の石仏の万治(マンジ)と

卍(マンジ)を掛けたダジャレとかのオカ話も興味深いです。

 

岡本太郎さんが万治の石仏を見て

「こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛され

 

「縄文がいいのではない。諏訪は縄文の文化が今も生きているからいいのだ。

 御柱祭は縄文人が満ち満ちている」と言われたそうな。

 

幾重にもミルフィーユのように重なった深い古層の

奥に眠る縄文スピリットを

 

見つけ感じ取ることができたら幸いという

古い古い土地なのかもしれないと思いました。

 

石仏・仏像というより、埴輪ぽくて

鼻だけが妙に立体的なのも埴輪のように見えるのかもしれない。

 

ユーモラスでいて、どこか悲しげな表情が

じーんと何かを訴えてくるようで、なんとも言えねぇいい感じ。

 

 

お参り作法があり

三周するとなると、ささっとは終わらず

 

順番待ちの行列もできていて

ゆっくりのんびりもいかない所でした。

 

 

春宮から急いで来たのですが

朱塗りの浮島橋を渡ると

 

 

 

末社・浮島社が春宮からの途中にありました。

祓戸大神を祀るとのこと。

 

お社のサイズに合わせたような御柱4本で囲われ

なるほどー御柱が諏訪の原点かとひとり納得したのでした。

 

諏訪大社の創建は不詳とのことで

公式サイトを見ても曖昧として

 

下社の御祭神についても

諸説あり素人はわかりづらく悩ましく

 

全国的には

建御名方神・八坂刀売神・八重事代主神とされているようですが

 

地元の方々には

お諏訪さま・諏訪明神として親しまれていると言われているそうです。
 

デリケートな問題(逆に言いたい放題かも?)らしく

土着の神、外来の神、自然霊などなど

 

森羅万象すべてをもれなく包み込む

懐の広さ大きさ強さがあふれているようにも受け取れました。