夏の一般合宿に向けて合唱の練習をしている。

 

空手の合宿に向けての歌の練習というものも妙だが、道場対抗の演芸会の演目として、道場生の有志と取り組んでいる。

 

歌うのは映画音楽「スイートハート・ツリー」、ある音楽番組を観て決めた。

 

道場生に楽譜を起こしてもらった。

 

男女混声三部合唱、聴いただけで譜面にあらわせるというのも凄いこと。

 

満足に読めもしない楽譜を見て私は感じた、<これはヘンリー・マンシーニという名作曲家の手紙である>と。

 

「ムーン・リバー」「ひまわり」という世界的に知られる名曲を残した天才の意思が音符や記号に宿っているのだ。

 

空手の型は昔の創り手の意図を反復により感じてゆくが、音楽は楽譜という正確な記録となって後生に受け継がれる。

 

モーツァルトやベートーベンの心が今も読み取れるということなのだ。

 

次に生まれ変われるとしたら、音楽に打ち込んでみたい。

 

ストーリーはこうだ。

 

ピアノかギターに出合い、日本一を目指す。

 

ある世界的トランぺッターが話していた言葉…≪世界一は難しいけど、日本一ならば努力次第でなんとかなるものだと≫

 

そうなのか?この言葉によればそうらしい。

 

紆余曲折を経ながらもそれなりのコンペティションで入賞したりして日本一が近くに見えたりもする。

 

だが時が経ち、街にある個人宅のピアノ教室の先生に納まる。

 

自分の果たせなかった夢を生徒に託しながら日々を送るのであった…。

 

アレッ?

 

結局、今と変わらないね。

 

日本を代表するピアニストになって世界で演奏する、これもすばらしいだろうなぁ。

 

どちらにせよ、音楽に没頭して人生を送れば、それなりになってゆくと思うのである。

 

一つのことに専念し続ける能力は好きなこととの出合い、好きな人との出会いを与えてくれる。

 

それは私たちの人生を豊かなものにしてくれると信じている。

周囲から腹が出てきた!という評価を受けた。

 

空手家としてあるまじき状況に、仕方ないよ、身体動かしてないんだからと開き直っていたが、体重計に乗ると人生最高値を示していた。

 

じゃあ食事制限をしようということになり、炭水化物を一日一食にしている。

 

全ての炭水化物とかなりの脂質をカット、そして週二日のウエイト・トレーニング。

 

これが世の中で流行りのライ○○○方式ですかな。

 

そこまでの禁欲的生活はしんどいので、ごはんや麺類は一日一回なのだ。

 

効果は早くも現れ、-3キロ。

 

軽いトレーニングも並行しているのであとマイナス2キロは可能であろう。

 

しばらくは続けるつもりだが、ダイエットする自分の心理が面白い。

 

ジャガイモが溶けてしまったカレーなどを食べた後ならまだしも、箸休めでついている少量のパスタを食べ、揚げ物の衣をはがして残すのは見た目もよくないし、作ってくれた人に失礼などと全て食べてしまった後など、人生の汚点を残した気持ちになる。

 

この罪悪感が高じて、食べたら戻る、太るという恐怖感に、拒食症から体調不良に陥るのだろう。

 

大量の食事をとることが強くなることだと信じていた若いころ。

 

今は食べることと稽古が健康でいることの鍵であると考える。

 

 

少年部の終了後、選手稽古を行っている。

 

通称<いのこり稽古>だ。

 

やらされる稽古から自らの意思で行う稽古を実践するため、少年たちに「今日、何を考えながら道場のドアを開けましたか?」という質問をした。

 

大会で勝ち抜くという目標を一応は持っている子たちである。

 

この突きを組手で使ってやろう、得意な上段廻し蹴りを相手の突きにあわせてやる―――

 

大会も近づいているからとハイレベルな答えを期待したが、質問された上級者はうつむいたり、苦笑いを浮かべたりで、何も考えていませんでした!を暗に訴えていた。

 

ある白帯(入会して一か月)と視線が合った。

 

「強くなりたい」

 

大きくはないが、はっきりとした口調でその生徒は言った。

 

車座で話を聞く子どもたち皆が<おっ!>という表情を浮かべて3秒後。

 

六年男子が軽く握手し、全員がそれにならった。

 

空手道場の門をたたくという時、すべてといって過言ではない動機【強くなりたい】は、入門したという安心感から徐々に薄れ、友達と会える楽しみや、怖い先生や優しい先輩の存在にすり替えられてゆく。

 

楽しいから、または怖くて緊張するけれど道場へ行くというのは二次的な動機である。

 

根源の理由は弱い自分との決別、強くなりたい、なのである。

 

この生徒が発した言葉は単に肉体的な強さだけではない、友人関係や物事に対峙した時の自分の心の在り様を述べていたのだと思う。

 

その通りだよなぁと感じ、身体のあちこちが動きづらく、フルパワーでサンドバッグを叩き、蹴りつけられなくなった自分を振り返る。

 

俺は本当に強くなったのか?

 

だいたい本当の強さってなんだ?

 

自問するが回答はすぐには出てこない。

 

だがしみじみと思うのは、【強くなりたい】である。

 

白帯の生徒の入会申込書に改めて目を通した。

 

入門動機の箇所に自筆であった≪強くなりたい≫と。

 

 

あるメジャーな球技を練習していた小学生の男の子がいた。

 

残念なことに彼は挫折してしまう。

 

友人が遊んでいたコンピュータゲームをやり始めた彼。

 

諦めた球技のコンピュータゲームでメキメキ腕を上げ、なんと世界選手権で優勝するまでになってしまった。

 

このサクセスストーリー、どこか変なのである。

 

どこが変か解るだろうか。

 

正解はクラブチームで練習、挫折しそうになった時にサポートする良い大人がいなかったことなのだ。

 

何が原因でこうなり、どうすれば復活できるか指導する大人がいなかったということである。

 

再起できなければ他のスポーツを紹介してもよいはずなのに、何故コンピュータゲームだったのか。

 

そんなものはスポーツじゃない!という大人もいなかったのが残念だ。

 

3DのCG世界はパイロットやレーサー等特殊技能を培養する為のみならず、建築、医学、映像などあらゆる分野で用いられる重要な技術だと思う。

 

ただこのCG世界のキャラクターを操り、画面上で闘わせることがどうしてeスポーツと呼ばれ、五輪の正式競技に採用されるのか、理解ができない。

 

IOCがコンピュータゲーム業界に擦り寄った理由は一億人市場とされるゲーム業界を取り込めば儲かると考えたからではなかろうか。

 

儲かるか儲からないかが判断基準。

 

儲かれば、スポーツでもなんでもないコンピュータゲームをeスポーツなどと呼び、正式種目にしようとする。

 

金が全ての五輪、それに右往左往し、一喜一憂する。

 

このことに疑念を抱かぬ限り、人は何の為にスポーツをやるのか、武道を続けるのかを若者に伝えてゆくことはできないだろう。

 

現在のオリンピックの体質、本質を知った上で競技の道に入るのはいいことである。

 

取ったメダルを利用し、オリンピアンであることを武器に生きてゆく人がいてもいい。

 

だが競技や大会は己を磨いて正してゆく道具に過ぎず、道具を選択する人が主体であるということ、道具がなくなっても絶望することなく、ほかの道具を見つけることが肝要である。

 

金や物、名誉欲しさに振り回される人生などごめんである。

 

 

 

 

 

日米間で有名な野球選手が一昨日引退した。

 

2001年から18年間、彼の残した記録はすごいの一言。

 

渡米後、メジャーリーグで3089本の安打を生み出す。

 

200本安打を10年連続で達成した。

 

休日の昼、3000本の安打を全て見せるという番組を観ていた。

 

途中ニュースや天気予報を挟みながらだが、数時間。

 

残念ながら1800本台で私は眠ってしまったが、記憶をたどってみるとスコーンスコーンと左右真ん中、ほんとよく打っていた。

 

四打数四安打なんて結構あった。

 

良く覚えているのが、内野安打。

 

多少変則的打法の為もあろう、彼の打球はクセが強くバウンドが変化する。

 

そのため野手のハンブルを誘っていた。

 

さらに彼の俊足が絡み、ほとんどがセーフ。

 

守る仕事もすばらしい。

 

彼の代名詞となったレーザービーム。

 

右翼から三塁へ強肩直球、走者を制した。

 

私の拙い文章で華麗なる天才プレーヤーの美技を表現できる訳がないのでこの辺にします。

 

生憎と今週は十年ぶりの風邪をひき、それをこじらせ最悪のコンディション、彼の引退会見も見られなかった。

 

だが眠りに落ちてゆく中で熱中できるものが見つかればエネルギーが注げる…というようなことを聞いた。

 

しかもそこには好きな人との出会いが待っているのだ。

 

好きなこと、好きな人、この二つが私たちの人生をどれだけ豊かなものにしてくれるか知れない。

 

好きなことと出合うために必要なものが一所懸命という心である。

 

なんでも一所懸命になれる、これは一つの能力といっていい。

 

物心ついた時、この心を身につけていれば、その人は熱中できることに出合い、好きな人に出会えるわけです。

 

誰もが天才野球選手のような結果は出せまいが、彼のように全エネルギーを一つのことに注ぐ生き方をするのは可能である。

 

若者がチャレンジャーとして海を渡り大国で唯一無二の天才と称えられ、年月を経て白髪で初老の男として引退した。

 

二十年足らずだが、一人の人間の生き方として私はあるべき姿、正しい生き方だと思う。

 

昨日は小学校の卒業式が多かった。

 

自らの体調不良のため、少年たちに話をしてあげられず心残りであった。

 

子どもたちは早く熱中する心、没頭する能力を稽古で身につけてほしい。

 

この言葉を関係者各位に贈ります。

 

東京大空襲の慰霊祭があるので日曜日は行けなくなりました-知人から金曜の晩、電子メールが届いた。

 

何だよという失望と、あっ10日だったかという再認識。

 

そう七十四年前の今日のように強風の未明、墨田区、台東区という下町上空に米軍の爆撃機B-29が来襲。

 

焼夷弾と呼ばれるガソリン爆弾を何万発も落下させた。

 

草木一本残らぬ焼け野原と化した跡には一般市民十万人が犠牲となった。

 

原子爆弾にも匹敵する一晩で非戦闘員十万人の虐殺行為は戦争史をひらいても見当たらない。

 

これが東京大空襲だ。

 

稽古生に史実を話した。

 

道場の高齢化が進む現在、その日の参加は四十代一人をのぞき、五十代、六十代だった。

 

当然知っているだろうと思ったが、全員知らなかったようだ。

 

私たち世代が語り継いでゆかねばならないのに…このことにも驚かされた。

 

太平洋戦争の記念日と呼ばれる日を迎えるたびに私が腹立たしさを覚えるのは、当時のトップ周囲の決断の遅さである。

 

無条件降伏を連合国より突きつけられて二か月余り地下シェルターで無駄に会議に時間をつぶした。

 

その間、二発の原子爆弾を含む空爆で百万の国民が亡くなったとされている。

 

戦争は始めることよりも終わることのほうが難しいとされている。

 

それにしてもトップのせいで何万もの国民の命が危険にさらされる。

 

現在このことが是正されていると言えるだろうか。

 

国策の名のもとに何が起きても進められる原子力発電の開発。

 

昭和20年3月10日にあった東京大空襲。

 

平成23年3月11日東日本大震災により、発生した福島第一原発事故。

 

私たちが伝えるべき出来事は人災天災数多くある。

 

 

 

 

 

 

 

新しい年が始まって十日足らず。

 

心身共に疲れを感じる時だ。

 

年末から続く不規則な仕事の休みと暴飲暴食に体調は落ちている。

 

新たな夢や目標を掲げ、希望に燃えているはずなのだが、これから先一年を過ごすのだと思うと年齢だけ取って去年と同じことを繰り返すのかと気づいてため息の一つも出てしまう頃だ。

 

私の周りでもそんな声が聞こえている。

 

大義を掲げることである。

 

大義を見た時に昨年と同じ行事(同じ訳はないのだが)を迎える心構えが違ってくる。

 

目的地へ近づくための道具が行事であることに思えてくるのだ。

 

私が今年掲げた大義は世界平和である。

 

大山総裁が晩年みていたということをある人から聞いた。

 

総裁は文武両道の武道家を育成するために三年間の内弟子制度を作り、礼節を持って世界の平和に貢献しようと考えていたそうだ。

 

自らを鍛える空手という手段を心得、威張らず、謙虚な心を持った空手家が世界平和の礎となると確信していたのだと思う。

 

先日から始まった大河ドラマ「いだてん」で講道館の始祖、加納治五郎先生が世界平和のためにオリンピックに参加するのだと提唱するのを観て、もしや若き大山総裁が影響を受けた人物に加納先生がいたのではないかと思った。

 

総裁も若き日に柔道を学び、四段でもあったはずだ。

 

明治の終わりのオリンピックが現在のオリンピックとは本質的に違っていたにせよ、本来のスポーツ競技の目的が世界平和であることに違いはないのである。

 

世間の空手家諸氏へ何の為に空手道を歩むのかわからない時は大山総裁が指し示したところを見て進もうではありませんか。

 

 

 

 

今日で異常な暑さが終わるわけではないが、世の中で言う夏休みは終わり。

 

今年の夏は様々な事件、事象があった。

 

私にとっても痛快な出来事があった。

 

高校野球、東北の農業高校が決勝まで駒を進めたことだ。

 

どこにでもある公立高校がセミプロのような有名私立高校に何回か逆転勝ちを収めた。

 

アマがプロの足元をすくう。

 

人は奇跡と呼ぶが、実はそうではないらしい。

 

聞くところによると、一流のウェイトトレーニングのコーチをつけ、秀でたパワーヒッターを養成したこと。

 

大国柱のエースが一年のうちから三年計画で、監督、コーチが同世代を育成したらしい。

 

彼らが練習で使うホワイトボードを見た。

 

すべての練習を100パーセントの気持ちで行うと書いてあった。

 

高い意識の元、技に力が乗り始める。

 

もうひとつ付け加えるならば、東北という気候風土が培った人々の気質であろう。

 

半年近く雪に閉ざされた厳しい環境。

 

以前、八郎潟という干拓地を見た。

 

行けども行けども周り一面に広がる水田は終わることがない。

 

今は広大な水田地帯も、琵琶湖に次ぐ広さの湖を人力で埋め立てたのだという歴史を知るにつけ、東北人の気骨、気根には驚嘆と畏敬の念を抱かずにはいられない。

 

私自身、半分は東北、津軽人の血が流れている。

 

誇りに感じている。

 

普通、人は強豪とか名門などと言われるチームや学校に入ることを目指す。

 

そこで揉まれてレギュラーになれば日本一の夢が叶うからだ。

 

私は昔からこのセオリーに縁がなかった。

 

選手時代も諦めず稽古はしていたが、強い道場になったのは意識の高い先生に強い後輩がいたからだ。

 

指導する立場になってもすぐに強い選手を育てたわけではない。

 

強いと呼ばれるノリの良い道場にまわりの人間が何人も足を運ぶ現実を目の当たりにした。

 

お前たち、意地はないのか?

 

心でそう叫びながら、公園を走らせていた記憶がある。

 

パワー、技、気迫、この三要素を踏襲していたので、時間はかかったが、ある時点で強豪と呼ばれる道場に追いつくことができたと思っている。

 

情報が瞬時に行き交い、氾濫する時代である。

 

何が正しくて何が悪いのか、判断がむずかしいこともあろう。

 

しかし、人間が行うことであれば、いつの時代もそう変わりはしない。

 

原理原則を忘れず、信という真を持って進めば、農業高校のような奇跡は誰にでも可能なのだ。

 

秋田県金足農業高校のナインには勝負の原点を、練習の本質を、諦めない気持ちを教わりました。

 

ありがとうございました。

 

13時間あまりのフライト。

 

その間、二度の機内食でブロイラー化、もしくはフォアグラ化してもたれた自分の胃を気にしながら、ミュンヘン空港に降り立った。

 

出迎えに来ていただいた現地の道場生の車に乗車する。

 

究極までチューンナップされた高性能スポーツカーである。

 

噂に聞いていたアウトバーン。

 

左車線はオープンであり、制限速度がない。

 

運転手はそこに入り、思い切りアクセルを踏んだ。

 

暴力的なエンジン音とともに膨れ上がった胃袋が今度は背中から飛び出しそうな加速Gを受けた。

 

あぁこれがドイツなのだと思った。

 

空手サマーキャンプの指導で訪れた初めてのドイツ。

 

帰国後思うのは、質実剛健である。

 

滞在したホテルの家具、ドアノブや扉の蝶番。

 

水道やシャワーの蛇口、トイレの便器に至るすべてのものが頑丈にできていた。

 

便器などはもしも尻を滑らせ後頭部でも打てば、間違いなく割れるのは頭である。

 

家具、ビール、刃物など、ドイツにはマイスター(徒弟制度)がある。

 

全てに対して職人気質が存在しているのだと思う。

 

合宿開催地、ドイツ南部バイエルン地方を、走る車の窓からながめていた。

 

丘陵地帯に広がるトウモロコシや麦の畑、そして牧草地帯。

 

行けども行けども景色は変わらず、ノンストップで車は走り続けた。

 

あぁそうか、心の中で合点がいった。

 

ドイツでは2シーター、フルオープンのスポーツカーが存在する。

 

あの名車は短い夏の陽光を惜しむバイエルンの上流カップルがこの地を走るために造られたのだと。

 

決して日本の渋滞でトラックの排ガスを浴びながら我慢して走る車ではないのだ。

 

ドイツは車社会である。

 

だが日本のそれとは違う。

 

日本がファミリーカー主体で各自動車メーカーがバラバラに造った車がおもちゃ箱をひっくり返したような状態で混在するのに対し、ドイツ車は一本の線でつながっている。

 

線とはアウトバーンだ。

 

アドルフ・ヒトラーが成した唯一の善行と呼ばれるこの高速道路は無料であり、日常生活の中にいつでも存在している。

 

どんな自動車も高性能でなければならない宿命を持っているのだ。

 

ドイツはいい国である。

 

ビールもハムもソーセージも絶品だ。

 

だが、すべてのものは世界に冠たる自動車産業の上に成り立っている。

 

ワシらこの世界でやってるけんね!というゲルマン魂の声が聞こえてくるような一週間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー日本代表イレブンが帰国した。

 

またサッカーかよ!お前は空手家だろ?

 

一部の読者はそういうでしょうな。

 

私もW杯についての記事はもう書くまいと思っていた。

 

だがある事柄を知り心が変わった。

 

でもこれが最後だからね。

 

今日から準々決勝が始まるが、どんな名勝負が展開されてもサッカーネタはこれでおしまい。

 

ある記事を見た。

 

敗戦後日本チームが使用したロッカールーム。

 

ゴミ一つなく、使用前のようなきれいさを保っていた。

 

失意の底にいた選手たちが現地の担当者を気遣って清掃して明け渡したのであろうか。

 

私の脳裏にそのようなイメージが浮かんだ。

 

メモ用紙に残されたスパシーバ(ありがとう)の言葉と青い折り鶴から担当者と選手たちの人としての心の交流がそこにあったのだろう。

 

あの精神状態で、いや、あの状況だからこそ人の優しさに気づいて応えることができたに違いない。

立派である。

 

競技選手も捨てたものじゃない。

 

サポーターが試合後にゴミを集めて立ち去る姿も報道されるようになった。

 

立つ鳥跡を濁さず、この精神文化が日本から世界へ発信すべきことなのだ。

 

私も舌打ちすることもなく、今後も公共施設のトイレのサンダルを整理し続けよう。

 

私はサッカーという競技が嫌いではない。

 

だが、大好きな訳でもない。いい年齢した監督はじめ主将までもが何々だしーっ、しゃべるのを聞くと恥ずかしいなと思うし、奇をてらうヘアスタイルを見るとかっこつけるなよと言いたくなる。

 

しかし試合前のボクサーのように締まった身体とコケた頬を見ると自分を追い込んでいるなと好感を持つ。

私は太った選手のいるプロスポーツは好きではない。

 

相手国のゴールに芝をたたいて悔しがり、インタビューに詰まって号泣する彼らの姿にいい奴なんだろうなきっと、と感じ入ってしまう。

 

無念さを抑えながらもどこかすっきりした十一人の面々は独特ななんとも言えない表情をしていた。

 

記者会見で監督が語った、試合の後選手に伝えたという、倒れこんで背中に感じた芝生の感触、空の色、それを忘れるな、ベンチに座っていた選手たちのあの以居心地の悪いお尻の感触は忘れるな、が印象的だった。

 

あの感触をガソリンに、選手たちが四年後に向けて日々、周りに影響を与えてゆくに違いない。

これからの四年間が楽しみである。

 

 

 

追記

執筆後、清掃したのは日本のスタッフと知って感動は半減しました(苦笑)

 

だけど、選手たちを支えるスタッフの細やかな気遣いが伝わってくる美談にかわりはなく、美意識を世界に知らしめた出来事だと思います。