ルキジが小学生だったころのある晴れた日、家の近くの並木道で、赤いような、黄色いような、オレンジ色のような、なんとも表現の仕様のない、あえていえば絵に描いたやさしい太陽のような色の木の実をひろった。
その木の実は、手のひらの中でやさしく、ほんのりと輝いていた。ポケットの中にしまいこんだその実は、いつの間にか無くなってしまっていた。
そんな木の実に再び出会うことになったのは、それから何年もたって、ルキジが働き始めてからのことだった。といっても、決してロマンチックな再会とはいかなかった。
ちょうと手袋が必要になったくらいの、寒い日のこと。会社からの帰り道、公園のベンチで寝ている老人の手には優しく光るなにか、魅力的なものが握られていた。ルキジにはわかった、それは宝石でもライトでもない、他ならぬあの木の実なんだ、と。十数年越しに再び出会ってしまったことは、運命以外の何物でもないのだと、そう信じたかった。しかし、そんな木の実を大切そうに握っているのは、少しでも近づけば異臭の漂いそうな、孤独のあまり日本語で話すことすら忘れてしまいましたといわんばかりのみすぼらしい姿の老人だった。とてもではないが、話ができる相手ではないと思われた。
しかし、その木の実の光を見るうち、ルキジは、そんな気持ちを抱いた自分を恥じるようになった。彼も同じ人間で、同じときを同じ町で過ごしてきたのではないか。そして、きっと彼もルキジも、木の実の美しさに魅了された仲なのだ。ふと、初めて木の実を手にしたときの、幼かった頃の記憶がよみがえった。
テストの点が悪かったことで母親に叱られて家を飛び出し、たどり着いた黄金色のイチョウの並木道に落ちていた木の実のこと。木の実を手にしたときの、言葉にはできないあたたかく、優しいきもちになって、宝物にしようと、ポケットにしまったこと。その日、家に帰って家族で食べたシチューのおいしかったこと。そして、その日から、優しさ包まれたような気持ちで、毎日お母さんの夕ご飯の手伝いや、宿題を欠かさずするようになったことが、走馬灯のように思い出された。
そしてさらには、木の実がなくなった日のことまで思い出された。木の実を拾ってから数ヵ月後、学校の帰り道に例のイチョウの並木道の真ん中で、座り込み泣いている同い年くらいの男の子を見つけた。ルキジが、
「どうしたの」
と何度かやさしく語りかけても、彼は答えようとしなかった。ふと、ルキジまで悲しい気持ちがこみ上げてきて、宝物だった木の実をポケットから取り出し、彼に無言で手渡すと、寂しさと照れが混じった複雑な気持ちになって、家まで駆けて帰っていったのだった。その後、この男の子と再び会うことはなかった。
そんなことを思い出していると、いつのまにやら体が勝手にホームレスのほうへ向かい、気づいたときには話しかけているのだった。
「こんにちは、今日は寒いですね」
ホームレスは一瞬驚いたようだったが、体をなんどかくねらせてしばらく彼を眺めると、優しい目で微笑んで、しゃがれた声で精一杯挨拶しかえした。
「こんばんは。いやあ、本当に寒い。しかし、こんな若い人から話しかけられるとは思わなんで、おどろいたあ。いやあ、気分はどうかね」
ルキジは後悔こそしていないものの、一体どうしてこんな男に話しかけたのかと自分でも疑問に思いながら答えた。
「僕は、まあまあですよ。おじさんはどうですか」
「わしゃあ、まあ、見ての通りだよ。これだって昔はちいさな町工場をやってたんだ。いや、今日は本当に冷えるねえ」
老人はすべてを悟ったような、優しい表情でルキジに答えた。自分で一瞬寒さなど忘れていたルキジは、ふと、われに返り、目に入った木の実について聞くと、老人が話し始めた。
「この木の実はねえ、もうだいぶ昔のことだよ。大切な人からもらったんだ。だけどね、その日以来、その人とはもう会っちゃいないんだ。今更会えないよなあ。嫌われてるに決まってんだからさあ」
ゆっくりと、しゃがれた精一杯の声で老人がここまで言うと急に咳き込み始めてしまった。
「この木の実、きれいだよなあ。どうだ、これも何かの縁だよ、君にあげるよ」
ここまでいうと、老人はまた急に咳き込み始め、木の実を持った手を差し出したまま、蹲ってしまった。しかし、もはやルキジは木の実のことなどどうでもよかった。初めて木の実を手にしたときの、あの暖かい気持ちで胸が満たされていた。
「良かったら、うちに来ませんか。一緒に暮らしましょうよ。これも何かの縁ですから。」
しかし、老人は手を差し出したまま首をふるだけだった。ルキジは、無理に誘うのは良くないと思い
「また明日ここに来てください、必ずです。もっとお話してみたいんです」
老人は一言、
「そうするよ、ありがとう」
と精一杯の声で答え、木の実を握った手をもとあった腹のところに戻し、眠りについたのだった。
「それでは、さようなら」
ルキジは一言言い残し、公園を去った。今日の晩飯はシチューだな、街灯がやさしく照らす夜道を歩きながらつぶやいた。
その木の実は、手のひらの中でやさしく、ほんのりと輝いていた。ポケットの中にしまいこんだその実は、いつの間にか無くなってしまっていた。
そんな木の実に再び出会うことになったのは、それから何年もたって、ルキジが働き始めてからのことだった。といっても、決してロマンチックな再会とはいかなかった。
ちょうと手袋が必要になったくらいの、寒い日のこと。会社からの帰り道、公園のベンチで寝ている老人の手には優しく光るなにか、魅力的なものが握られていた。ルキジにはわかった、それは宝石でもライトでもない、他ならぬあの木の実なんだ、と。十数年越しに再び出会ってしまったことは、運命以外の何物でもないのだと、そう信じたかった。しかし、そんな木の実を大切そうに握っているのは、少しでも近づけば異臭の漂いそうな、孤独のあまり日本語で話すことすら忘れてしまいましたといわんばかりのみすぼらしい姿の老人だった。とてもではないが、話ができる相手ではないと思われた。
しかし、その木の実の光を見るうち、ルキジは、そんな気持ちを抱いた自分を恥じるようになった。彼も同じ人間で、同じときを同じ町で過ごしてきたのではないか。そして、きっと彼もルキジも、木の実の美しさに魅了された仲なのだ。ふと、初めて木の実を手にしたときの、幼かった頃の記憶がよみがえった。
テストの点が悪かったことで母親に叱られて家を飛び出し、たどり着いた黄金色のイチョウの並木道に落ちていた木の実のこと。木の実を手にしたときの、言葉にはできないあたたかく、優しいきもちになって、宝物にしようと、ポケットにしまったこと。その日、家に帰って家族で食べたシチューのおいしかったこと。そして、その日から、優しさ包まれたような気持ちで、毎日お母さんの夕ご飯の手伝いや、宿題を欠かさずするようになったことが、走馬灯のように思い出された。
そしてさらには、木の実がなくなった日のことまで思い出された。木の実を拾ってから数ヵ月後、学校の帰り道に例のイチョウの並木道の真ん中で、座り込み泣いている同い年くらいの男の子を見つけた。ルキジが、
「どうしたの」
と何度かやさしく語りかけても、彼は答えようとしなかった。ふと、ルキジまで悲しい気持ちがこみ上げてきて、宝物だった木の実をポケットから取り出し、彼に無言で手渡すと、寂しさと照れが混じった複雑な気持ちになって、家まで駆けて帰っていったのだった。その後、この男の子と再び会うことはなかった。
そんなことを思い出していると、いつのまにやら体が勝手にホームレスのほうへ向かい、気づいたときには話しかけているのだった。
「こんにちは、今日は寒いですね」
ホームレスは一瞬驚いたようだったが、体をなんどかくねらせてしばらく彼を眺めると、優しい目で微笑んで、しゃがれた声で精一杯挨拶しかえした。
「こんばんは。いやあ、本当に寒い。しかし、こんな若い人から話しかけられるとは思わなんで、おどろいたあ。いやあ、気分はどうかね」
ルキジは後悔こそしていないものの、一体どうしてこんな男に話しかけたのかと自分でも疑問に思いながら答えた。
「僕は、まあまあですよ。おじさんはどうですか」
「わしゃあ、まあ、見ての通りだよ。これだって昔はちいさな町工場をやってたんだ。いや、今日は本当に冷えるねえ」
老人はすべてを悟ったような、優しい表情でルキジに答えた。自分で一瞬寒さなど忘れていたルキジは、ふと、われに返り、目に入った木の実について聞くと、老人が話し始めた。
「この木の実はねえ、もうだいぶ昔のことだよ。大切な人からもらったんだ。だけどね、その日以来、その人とはもう会っちゃいないんだ。今更会えないよなあ。嫌われてるに決まってんだからさあ」
ゆっくりと、しゃがれた精一杯の声で老人がここまで言うと急に咳き込み始めてしまった。
「この木の実、きれいだよなあ。どうだ、これも何かの縁だよ、君にあげるよ」
ここまでいうと、老人はまた急に咳き込み始め、木の実を持った手を差し出したまま、蹲ってしまった。しかし、もはやルキジは木の実のことなどどうでもよかった。初めて木の実を手にしたときの、あの暖かい気持ちで胸が満たされていた。
「良かったら、うちに来ませんか。一緒に暮らしましょうよ。これも何かの縁ですから。」
しかし、老人は手を差し出したまま首をふるだけだった。ルキジは、無理に誘うのは良くないと思い
「また明日ここに来てください、必ずです。もっとお話してみたいんです」
老人は一言、
「そうするよ、ありがとう」
と精一杯の声で答え、木の実を握った手をもとあった腹のところに戻し、眠りについたのだった。
「それでは、さようなら」
ルキジは一言言い残し、公園を去った。今日の晩飯はシチューだな、街灯がやさしく照らす夜道を歩きながらつぶやいた。