ある科学雑誌を読んでいたら
面白い記事を見つけました。

人間とは何か。
それを研究するために、チンパンジーとの比較がなされます。
なぜチンパンジーかと言うと一番近い種だからなんですね。

チンパンジーと人間は何が違うかというと、
チンパンジーは母親が単独で自分の子供を育てるのに対し、
人間(ヒト)はコミュニティーで子供を育てる。

なぜか。

ヒトは、妊娠と子育てに長い時間を要するから、
(妊娠できる時間は限られているので)
子孫を増やそうと思ったら
なるべく早く離乳して、次の子を持つ必要があるんです。

てことは、一度に複数の子を育てるためには、
他者との「共育」が前提となる。

これを可能とするために「言葉」を獲得したそうです。

道理で、女の方がよくしゃべるわけです。

あと、社会から孤立した女性が
自分の幼い子供を虐待や殺害する事件も、納得です。

そもそもヒトは母親1人で子供を育てられない、
という前提があるんだったら、
ある意味仕方ないよね、という事になりますよね。

言い換えると育てる仲間がいないから、
自然とああいう風になってしまうんじゃないでしょうか。

ヒトは、「共育」が前提であればこそ
自分以外の友達の子供とかも、かわいいと思い
お母さん同士の連帯感情が生まれるんでしょう。

一方、チンパンジーの子育てには、
自分で完結するから言葉が要らない。

人間が
言葉が出来るようになった代わりに失ったものもある。

トレードオフと言って、
人類は脳がでかくなった代わりに
筋肉が衰えたんですね。

これと同じように、
チンパンジーは、言葉を持たない代わりに
瞬間記憶力がヒトより高いそうです。

パパっと危険を察知する直観みたいなものって
たぶんチンパンジーの方があるんです。
いわゆる野生の勘ですね。

その記事の結論によると
ヒトが、人たらしめているものは
「言葉」「共育」「想像力」
だそうです。

一方の
チンパンジーは、今を生きるのみ。


うちにもそういうスタッフはおりますけど。


チンパンジー、いや人間以外の動物は
未来を想像し、絶望もしない代わりに、希望も持たない。

これ、実は犬のしつけの時も、
忘れがちな事なんです。

先日、家から帰ってみると
台所に置いていたはずの鴨ローストが皿ごと無いんです。
誰かが食っているわけです。

留守中にいたのは、私の犬だけ。
もう犯人はこいつだ。と明白なんです。


で、私が鴨のローストが置いてあった皿が
テーブルから落ちてカーペットに投げ散らかしてあるのを拾い上げ
犬の鼻面の前に差出し、


「これ、たべたやろ?」

そうすると、犬は

「え?何のこと?」

と首をかしげてとぼけるんです。


「いやいや、お前やろ。」

真剣に私は目で、怒りを表現して睨みつけると
犬は私から、顔をそむけながら時おりチラチラと横目で見るんです。

「こら、これ、お前やんな。」

と、詰めよると次第に、斜め後ろを振り返り
「僕じゃないんだけど。誰?おい、これ食ったん誰?」
ってそぶりをする。

「ごまかすな。こら。」

と怒ると、部屋の隅の方にささーっと逃げるんですね。

「こら、逃げるな。話は終わってない。」
と、私は追いかける。


私はその一連の行動を
犬が「とぼけている。他人のせいにする。」と思っていたんです。

親ばかで恥ずかしいのですが
「とぼけるという高等な行動をするなんて
さすが、ジャーマンシェパード。賢いわ。俺の犬。えらい!!」
なんて感慨に浸ってたんです

それを、犬の訓練時に
「うちのコテツはねぇ、しょうがないんですよぉ・・・」
と吹聴してましたらドッグトレーナーさんにあっさり否定されました。

「犬は、そんな事覚えちゃいないですよ」
と。

一連のとぼけた態度は、単に
私が怒っているのが、意味不明だから、単に戸惑っていただけなんだそうです。

(ああ、あの件で怒ってるよね。)
とは思ってないんです。

どう思っているか。

(なんで、お父ちゃんは怒ってんのかな?)

(意味わかんないけど、かんべんしてくれよ。)

(もし父ちゃんの機嫌悪いんだったら、俺、あっち行っていいかな。)

人間を叱る場合と、
犬を叱る場合、決定的に違うのは
「現行犯でなければ、叱っても意味がない」という事。

過去を反省しないんです。


過去を叱れない。

些細なようで、結構、でかいですね。

人間が発展できたのは、過去を体験を伝える事が出来たから。

勉強という行為も、そう考えると、身に入りますね。