昨日(6月4日14時〜17時30分)、初台の新国立劇場でモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」を鑑賞。4日間公演の最終日だ。通称「キャンピング・コジ」と呼ばれるこのプロダクションは、2011年5月に初登場し、2013年6月に再演され、それから11年後の今回3回目の公演になった。原作の舞台は18世紀のナポリだが、現代性を持たせたキャンプ場の舞台設定は素晴らしい。

私はこのプロダクションは11年ぶり2度目の鑑賞だが、なるほどと思わせる個所がかなりあった。


あらすじを貼り付けておく(出典:オペラ情報館)

男2人(フェランドとグリエルモ)は「僕たちの恋人は(ドラベッラとフィオルデリージ)浮気なんてしない!」と言い、友人の哲学者アルフォンソはそれを否定しています。そこで、3人は恋人が浮気をするかどうか"賭け"をします。男2人は変装してお互いの恋人を口説きます。すると、女性たちは恋に落ち、結婚の約束までしてしまいます。最後に男2人は変装を解き、種明かしをします。2組のカップルは再び愛を確認し合い、ハッピーエンドでオペラは終わります。

出演:フィオルディリージ=セレーナ・ガンベロー二、その妹ドラべッラ=ダニエラ・ピー二、ドラベッラの恋人の士官フェルランド=ホエル・プリエト、フィオルディリージの恋人の士官グリエルモ=大西宇宙(たかおき)、姉妹の召使いデスピーナ=九嶋香奈枝、騎士2人の友人である哲学者ドン・アルフォンソ=フィリッポ・モラーチェ。合唱=新国立劇場合唱団、管弦楽=東京フィル、指揮=飯森範親、演出=ダミアーノ・ミキエレット


某指揮者がSNSで「指揮が雑」とか「この歌劇場は広過ぎる」と前置きし主に回り舞台を指してか「金をかければいい上演になるかと言えば、そうではない」と発言。特に同業者をクサスのはタブーだと思うが、本当のところはどうなのかという興味もあって、初台までやって来た。


指揮者の飯森範親がこの某指揮者の発言をSNSで読んだかどうかは知らないが、最終日ということもあり、序曲から気合いが入っている。これに応えて東京フィルも素晴らしい「音」で応える。例えば出征する2人を姉妹が見送るシーンの海風を思わせる弦のピアニッシモなど陶然となった。最近の新国立劇場のオケピットの信じられないレベルアップは唖然とするほどだ。某指揮者が聞いた日(6月2日?)はたまたま不調だったのだろうか。

回り舞台も効果的で、よく考えられている。決して忙しい感じを抱くことはなかった。


このオペラは、アンサンブル・オペラと言われるほど重唱が多いが、それでも若い5人には各々2曲のアリアがあり、難易度も高い。音程が若干ブレがちだったが、まあ許せる範囲内。女声2人は、ヴィブラート多目だが、満足度は高かった。男声2人もほぼ同程度。大西宇宙は成長著しく外人勢に全くヒケを取らなかった。召使いデスピーナの九嶋香奈枝は得意の役で余裕の歌唱・演技だが、スーブレットとしてはちょっと声が重くなっている。 

哲学者アルフォンソは、不調なのか声が届いて来なかった。このバスに力があるとこのオペラはもっと深みが出てくるが、ミキエレット演出だとデスピーナと愛人関係になってしまうから、世間を知りぬいた老人ではなく、もっと若い哲学者という演出なのか。



この日は高校生が100人ほど入場していたが、この複雑なストーリー展開が理解できただろうか。

最初のうちは、私もこっちが姉のフィオルディリージで恋人はグリエルモ、こっちが妹のドラベッラ(妹役なのに大柄でフケ顔)で恋人はフェルランドと確認作業に追われていたほど。イニシャル入りタンクトップを着て欲しいとは言わないが、せめてフィオルデリージは金髪にして欲しかった。さらにデスピーナが扮する公証人の格好はどう見てもレーサーにしか見えなかったがどんな意図があったのか。


本来はハッピーエンドなのに、フィナーレの意表をついた6人の喧嘩分かれは、字幕を必死で追っている高校生には、「一体、この人たちどうなっちゃったの?」だろう。


それにしても、モーツァルトはダ・ポンテ3部作では、変装・仮面と入れ替えでストーリーを複雑にしまくっている。そう言えば最後のオペラ「魔笛」でも正邪(夜の女王とザラストロ)が最後には逆転する構造になっていた。単純な人生には飽き飽きしていたのだろうか。簡単そうに見えて、高校生にはモーツァルトの4大オペラは難しいと思うがなあ。