昨日(2月4日日曜日14時、NHKホール)、井上道義指揮N響(コンサートマスター:郷古廉)のコンサートを聞いた。

プログラムは以下の通り。

ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336

ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲 第1番 -「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」

20分の休憩後は:
ショスタコーヴィチ/交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」
バス : アレクセイ・ティホミーロフ 
男声合唱 : オルフェイ・ドレンガル男声合唱団


ショスタコーヴィチの表(支配体制向け)の顔と裏(真実)の顔を前半と後半で聞いてくれということだろうか。最初の「クラップフェンの森で」はロシアで作曲された「パヴロフスクの森で」を改題した作品。N響の演奏は、なんとも重苦しいリズムでいかにウィーン・フィルの演奏が洒落ているかを再認識する結果になった。ショスタコーヴィチの舞台管弦楽のための組曲第1番からの4曲ももっと遊びと退廃の匂いが欲しい。そもそもN響にそんなことを求めるほうがオカド違いだが。


なんと言ってもこの日は「バビ・ヤール」が目玉だ。この曲、私は実演では初めて聞く。まず不満から。なんで字幕がないのだろうか。この曲は心ある聞き手なら、プログラムの翻訳を見ながら聞くから、ページをめくる音が耳障りなのだ。井上道義なら絶対に字幕付き上演をするものと思ったのに。そんな場合に備え、かくいう私もオーケストラの主要な動きを記した翻訳を見ながらの鑑賞だった。反ユダヤ主義を盛り込んだのは第1楽章「バビ・ヤール」だけで、第2楽章〜第5楽章は体制への憤懣と自身の人生観をエフトゥシェンコの詩に載せて音化した作品なのである。


スターリンが死んでかなり脱スターリンに動いていたソ連でエフトゥシェンコという若い詩人との遭遇が、ショスタコーヴィチの今までの怨嗟を一気に開放し、言葉を音化するという全く新しい「交響曲」として誕生した。記念碑的な作品なのではないだろうか。もちろん、初演には当局による妨害・改編があったのであるが。

この日のN響は、凄まじい集中力で文句のつけようがない完璧さとテンションの高さを見せた。昨年のノセダ指揮のショスタコーヴィチ交響曲第8番を思い出した。こういう強烈な統率力を持った指揮者じゃないとN響みたいなプライド集団は動かないのだろうな。

独唱の巨漢アレクセイ・ティホミーロフ(当初発表から変更)はミネラルウォーターのペットボトル4本を準備し飲み干した熱演だった。ドスの効いた低音というより美声のバスだが、この曲ロシア人じゃないと無理なんだろうな。この独唱に加え、スウェーデンの合唱団オルフェイ・ドレンガル男声合唱団が信じられないような見事な演奏。フォルテのド迫力、ピアニッシモの繊細さに加え発声の美しさに驚嘆した。あの合唱の神様エリック・エリクソンが1951年から40年間指導したというからなるほどだ。  


演奏後の井上道義、アレクセイ・ティホミーロフ、合唱指揮のセシリア・リュディンゲルの3人


しかし、この「バビ・ヤール」、不思議な名曲である。ロシア人バスに加えてロシア語が堪能な男声合唱団が揃わないと演奏は難しそうで、今回の上演はラッキーだった。井上道義のワガママがかなりあった公演だったのではないかと推察する。


井上道義(1946年生まれの77歳)は今年一杯で引退すると公言しているが、本当なら勿体ない話である。