東京ニューシティ管弦楽団改め、パシフィックフィルハーモニア東京の第150回定期演奏会に行って来た(7月30日土曜日14時開演)。指揮は音楽監督の飯森範親。「愛」をテーマにした魅力的なプログラムだ。コンサートマスターは執行恒宏だ。メインは後半のツェムリンスキーの「抒情交響曲」でこれは聞かずばなるまいと出かけた。

前半は「トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死」とベルクの抒情組曲(弦楽合奏版、いつものベルク編曲ではなくてオランダの作曲家ファーベイの編曲で原曲の第1、5、6楽章)。「愛の死」は森川真里の独唱付き。2階席正面前方席で聞いたがPA付きのような変な聞こえ方。後半の抒情交響曲の大西宇宙(たかおき)を加えた歌手の声もストレートに聞こえて来ない。大管弦楽に埋もれないために何か施しているのか?

前半2曲目はベルクはやはり聞き慣れた原曲の第2、3、4楽章の作曲家自身による編曲版を聞きたかった。

後半は、弦楽器が12-10-8-8-6でやはりちょっとボリュームがたりないし、洗練された味わいが欲しい。一方管楽器はなかなか好演だった。これにハルモニウム、チェレスタ、ハープ、ティンパニー以外の打楽器3人、ホルン5人、トロンボーン3、トランペット3、木管3〜5人体制だが、マーラーともシェーンベルクの「グレの歌」あたりとも違う。実に甘美なのだが、突然爆発する。ツェムリンスキーという作曲家の不思議だが独特の存在感が楽しめた。2人の独唱は、前述の変な聞こえ方もあり、こんなものかと。予習で聞いていたディスカウとユリア・ヴァラディが素晴らし過ぎたということもある。

特筆したいのは、歌詞が正面オルガンに投影されたこと。コンサートオペラではこういうサービスはすることもあるが、声楽付き交響曲ではまずなかった。おかげで歌詞を見るためにプログラムをガサガサさせたり、プログラムを落下させたりすることがなかった。ノーベル文学賞を受賞したタゴールの詩は取り立ててどうこういう内容はない

相聞歌である。しかし、歌詞の内容は全く違うが

マーラー「大地の歌」のコンセプトをそのまま使ってしまうというツェムリンスキーの、マーラー崇拝はちょっと笑える。

客の入りは85%ぐらいか。