5月24日火曜日の上岡敏之指揮読響の演奏会(サントリーホール)に衝撃を受けて、本日(5月28日土曜日)も池袋の東京芸術劇場に同じコンビのコンサートを聞きに来た。本日は、前半がメンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」とヴァイオリン協奏曲。協奏曲の独奏者(レナ・ノイダウアー)はあまり個性がなくて、テクニックもまずまず。メンコンよりもアンコールで奏したイザイ無伴奏ヴァイオリンソナタが素晴らしい出来だった。


肺腑を抉るような演奏だったのが後半のチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」だ。普通はここまで、激しく表現はしない。世の中の大半の指揮者は、そこそこにお行儀よくオーケストラとも無難に付き合って、破綻なくまとめた微温的な演奏をしているのだ。しかし、ごくたまにスコアがちゃんと読めて、どう演奏したら作曲家が表現しようとしたことを実現できるかが分かっている指揮者というのがいて、極限までオーケストラを鍛え上げて、聞いたこともないような強烈な演奏を聞かせることがある。オーケストラに意欲があって、このよく言えば天才、鬼才指揮者に黙って付いていけばとんでもない名演が聞けるのだ。もちろんオーケストラのメンバーもサラリーマンだから、そんな気狂い指揮者には付きあいかねるということになれば、空中分解した出来損ないの演奏になって、指揮者はそのオーケストラから二度と招かれることはないのだ。

幸いにして、この日の演奏は前者だった。チャイコフスキー交響曲第6番というのは、やはりとんでもない曲だというのが骨身に沁みた。第3楽章の行進曲の狂ったような大音響を聞いて、「もうやめてくれ!」と心の中で叫んだのは私だけではないだろう。

それに続く終楽章の、墓場から吹く生あたたかい不気味な風。ここもそうした音楽を見事に表現していたと思う。

上岡敏之の指揮ぶりは以前と変わらないが、明らかにかなり痩せているような印象。ちょっと猫背で指揮台に歩む様子も以前とは印象が変わっていて、大丈夫なのかという思いが過ぎった。昨年5年契約を満了で終えて退任した新日本フィルとの関係にも思いが至ってしまった。全て杞憂であってほしいが。とにかくこの指揮者の演奏会には、出来るだけ足を運びたいと思った。