時代劇専門チャンネルで昨年立川談志没後10年を記念して放送された「令和の談志」の再放送を3回分録画して見た。談志が演じた落語は、「らくだ」、「鼠穴」、「野ざらし」、「権助提灯」、「粗忽長屋」「雑俳」の7席。これに加えて毒蝮三太夫、立川談笑、伊集院光の3人がフリーアナウンサーの山中秀樹を相手にそれぞれの談志論を語っている。その中では落語家の端くれでもあった伊集院光の談志論が実に秀逸だった。

談志好きの私ではあるが、最近ちょっと見方が変わった。咽頭癌発症後には「死にたいんだよ。でも死ぬとポール牧(自殺)に影響されたって言われるのが癪だから死なないだけでね」なんて軽口を叩いていた。真相は何だったのだろう。

晩年の芸は、噺家にとっては致命的な咽頭癌とこれに端を発した鬱病、さらに加齢による物忘れが芸を荒らしている様子が痛ましい。さらにその言い逃れ、言い訳が実に鬱陶しい。本当は未練がましく現役を続けないで、引退すればよかったのにと思う。しかし、晩節を汚してまで醜態を晒し続けた。何故だろう。「ごくごくたまに芸の神様が降りて来るんだよ」と談志は言っていたが、本当にそうだろうか。巷間「芝浜」の奇跡の高座なんて言われるが、この噺はそもそも談志向きじゃないだろう。「らくだ」「鼠穴」あたりが談志向きの噺で、今回の放映でもその片鱗は感じられるが、言い間違いが全くない立板に水の談志全盛期にはまるで及ばないし、そもそも「正調」なら唯一のライバルと認めていた古今亭志ん朝には叶わないのだというのを談志ほど知りぬいていた噺家もいないのだ。

談志は、このボロボロの見苦しい晒し者のような芸の中にもしかしたら、何か「芸の神」が宿っているのではないかと思って賭けたのではないだろうか。いやはや凄い芸である。古今亭志ん朝という宿命のライバルがいてこれを超えようとしたからこそ、なし得た命懸けの芸だったことに私はようやく気づいた。いや、芸というのともちょっと違う。聞くのは本当に辛いが、これは噺ではなくて、一人の人間の凄まじい生き様の記録だと考えれば納得がいくのだ。自分を大切にする男なら絶対にやらないことを敢えてしてみせるのだ。おまえら、ここまでやれるかい!ざまあみやがれ、と啖呵を切る立川談志の得意満面が見える。