TV録画(NHK BS)で映画「男と女」(1966年 クロード・ルルーシュ監督)を観る。私にとっては3回目の視聴になる。最初は大学生の時に映画館で見たが、甘々の通俗的恋愛映画だなと思ったのを覚えている。当時はゴダールだ、フェリーニだ、ベルイマンだと東京中の映画館を駆け回っていた生意気で頭デッカチの映画小僧だったから、この映画の超絶的映像美なんてちゃんと味わえるはずはなかった。

そうしたヌーヴェルバーグ・芸術派・哲学派が全盛の時代にあって、ルルーシュの一見TVCFみたいな感覚的映像に対する評価は映画業界でも決して高くはなかったはずだ。しかしこの「男と女」は、そんな連中でも黙らせるだけの見事な出来栄えだ。ルルーシュの一世一代の大傑作ではないのだろうか。たしかにラストシーンから逆算した脚本だったり、男と女の亡き妻、亡き夫はいかにも描き方がステレオタイプ。しかし、この詩情あふれるカメラワークは、そうしたヌーヴェルバーグ派・芸術派・哲学派の映像を野暮ったく感じさせてしまうのも事実。本当に溜息の出るような美しさだ。2016年に制作50周年を記念してデジタルリマスタリングした映像のTV放映だと思うが、かなりその真価が甦っているようだ。アヌーク・エメとジャン・ルイ・トランティニアンのベッドシーンでは外の風の音が実に効果的に聞こえている。

そして、ダバダバダ〜ダバダバダ〜と書くだけですぐこのこの映画の音楽と分かるのがフランシス・レイの音楽。映像と音楽がまさに表裏一体になって効果を上げている。2年後のグルノーブル冬季五輪のドキュメンタリー映画「白い恋人たち」(1968年)でも、ルルーシュとレイは再びコンビを組んでヒットを飛ばしている。そのレイは昨年11月に86歳の生涯を閉じている。

通俗的であることは決して悪いことではない。通俗的でも素晴らしい感動を与える作品が少なくないことを忘れるべきではない。映画のような芸術では尚更である。そんな当たり前のことを映画「男と女」は私に教えてくれる。

カジノがあることで知られる風光明媚な港町ドーヴィルがこの映画の主な舞台になっているが、ルルーシュの映像を観ていると、是非行ってみたいと思ってしまう。ドーヴィルは、ココ・シャネルがパリ店に続く帽子の2号店を1913年に出店した街である。