長くなってしまって、ごめんなさい。
話がそれてしまいましたが、戻ります。
えっと・・・
短期間(約半年ちょっと)で修行は終了してしまいましたが、
本当に、『ぞうの国』の皆さんには、家族のように接して頂きました。
哲ちゃんとも、時々喧嘩とかしましたが、兄妹のように仲良しでした。
生涯、私にとって、お山(ぞうの国)の方達はとても大切な存在です。
今後も、大切にお付き合いをさせて頂きたいと思っています。
哲ちゃんとは、お互いに家庭を持つくらい大人になっても、
家族ぐるみのお付き合いをしていくんだろうと、疑う事なく思ってました。
映画のお話がなくなってしまって・・・
お山から東京に移り、新たな生活をするようになっても、
哲っちゃんが、お仕事で都内に来る事があれば、会う事もあったし、
電話で、年相応のたわいない話を何時間もする事もありました。
その時も、私は、東京で生活出来る事に喜びを感じていました。
映画のお話が消えてしまったショックなんてこれっぽっちもなく、
自分が、どれだけ貴重な経験をさせて頂けていたのかも気付かず、
そう、この時点でも、まだ勘違いしているバカ娘だったんですよ。
何を大切にしなくてはいけないか・・・まったくわかってはいなかった。
『誰かが、私の事を、なんとかしてくれるだろう』と人任せで、
本当に、恥ずかしくなるくらい、甘い考えを持っていました。
じゃあ、今は違うのか・・・ どうだろう・・・ 今も自信ないけど・・・
映画『星になった少年』は、あくまでも映画としてのストーリー。
でも、哲っちゃんは確かに迷いながら輝きながら存在していました。
本当の哲っちゃんの悩みとかそう言うものを感じる事もあったけれど、
私は、自分の事で精一杯で、思いやる気持ちが欠けていました。
その知らせは、本当に突然だったんです。
仲良しのスタッフのお姉さんから・・・ある朝かかってきた1本の電話。
哲っちゃんが、交通事故に遭い、いなくなってしまった事を聞きました。
『あいつ大丈夫かな・・・って、あやちゃんの事心配してたんだよ・・・』
時々、そんな風に私の事を、気にかけていてくれたみたいです。
私に、凄い影響を与えてくれた象使いの師匠 哲夢君。優しい御方。
その、大切な人が星になってしまうなんて、考えもしなかったんです。
まだ夢だって沢山あったんですよね・・・哲っちゃんには・・・
そう思った時、はじめてこのままの自分ではいけないと気づきました。
夢(目標)があるなら、迷ってないで進まなければ・・・
その時、『しないで後悔するよりもやって後悔した方がずっと良い』
と言う考えに、はじめて私の気持ちが前向きに動き出したんです。
当時の私は、いつか脱がされる・・・と不安でしかたなかった。
写真集とかがブームの時代でしたからね・・・
そう言う、自分の怖いものに、自ら挑んでいこうと決めたんです。
それが、私のお仕事への姿勢、『原点』になりました。
そう言う強い気持ちを持つ事が出来るようになったので、
後に、勝新太郎さんと言う偉大な方に巡り逢う事も出来ました。
長く語ったわりには、伝わりにくかったかな?
ちょっとだけでも、理解してくれたら嬉しいです。ありがとう。【完】