易経(上)(下) | 深見東州(半田晴久)さんの本とその他私の好きなもの

易経(上)(下)

深見東州先生のお話しの中で、何度も繰り返して出てくるのが例えばこれ、「易経」です。

東洋の叡智はワールドメイトでの神学びには必要不可欠!老いも若きも、例えば青山塾の皆さんも、ぜひ読んでみて下さい。


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易経上巻「易の思想」から

 陰陽というものは、ひとり宇宙構成気についていうばかりでなく、あらゆる一切の事物の現象の性体及びその作用についての二つの属性を表すものである。一切のものはあるいは陰となり陽となって無窮の変化作用をなすとともに、その変化の中に一定不易の法則を蔵している。ゆえに宇宙と人生との一切の道は、ことごとくこの陰陽二爻(こう)を以て組織された六十四卦三百八十四爻の中に表現されて余蘊(ようん)がなく、これを説明する卦爻(けこう)の辞を味わえば、その妙は極まりなくて、上は天地の理、神明の情より、下は一身の修養、処世の要諦に至るまであますところなく包含されているのである。その蘊奥(うんおう)の妙は、直ちに卦爻の辞についてこれを味わうべきであるが、その精微の理は、すなわち十翼の中に説明らせれているのである。

 易理に達する者は、善く神に通ずる者である。天地の理を明らかにし、変化の理を窮め、神明の徳に通ずる者でなければ、易道を窮めることはできない。易にいうところの神とは何であるか。幽にして測るべからざる作用を指して神というのである。故に天下の叡知にして最も理に明らかな者でなければ、この妙用を知ることはできない。

 君子の世に処するや、出処進退、語黙顕晦、時処位に応じて決して一様でない。乾道と坤道と、積極と消極と、それぞれ異なるものがある。然しながら用舎は人にあるが、己れを成すは、自ら勉めるに依る。吉凶成敗は天に在りとするも、これを招くゆえんのものは、己れにあることを知らねばならぬ。易道を学んだならば、処世の要諦を自ら理解するであろう。

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