毎度おなじみ?
無敵の人絡みの事件のニュースから、思ったこと。
この手のものを発作的に書きたくなってしまう性分でして(笑)
そして、いつも通りの私の勝手な分析になります。
京アニ事件、今日の判決で死刑判決が出たそうで。
まあ・・当然といえば当然だと思う。
そして、もう一つ気になったのが、少し前のニュースの、特定少年(犯行時19歳)に初の死刑判決となった、こちらの事件。
私はこういう事件を見ると、どうしても加害者側の成育環境が気になってしまう。
この、京アニ事件と甲府放火事件の2つの事件の加害者に共通するのが、成育環境の問題・・・特に父親の素行の悪さ。そして犯行に共通した身勝手な思い込みの強さ。
遺伝的にも加害者の社会性が身に付きにくい性質があって、そういう父親を中心とした家庭環境の問題があったと想像する。
京アニ事件の青葉被告(45歳) → 私とほぼ同世代
甲府放火事件の被告(22歳) →我が子と同世代
私が未成年時には、児童相談所なんてものがあったことすら知らなかったし(知らなかったの私だけ??)当時はまともに機能していたのかも謎。だから育児放棄や暴力などの虐待なんてザラにあった。かくいう私もその被虐待児の一人・・・。
甲府放火事件のほうの加害者は、ちょうど我が子と同じ年代で、私が子育てしていた頃には、子供の虐待が頻繁に取りざたされていた。・・・なので、当時の親たちも子供の虐待問題は強く意識していたと思う。
親世代(40代)に比べると、その子世代(20代)では、子供の虐待問題が認知されやすくなってきたとはいえ、身体に不自然なアザがあるとか、明らかな虐待と判断できる様子が見られない限りは、家庭という最小単位の社会の中身が、社会性が身に付きにくい環境だったとしても、それに気づかれず放置されがちな点は依然変わってないのだな・・と思った。
いや、むしろ、私の子育て時期は皆が皆『虐待』に神経質になっていた分、一見すると分かりにくい問題は見逃されてきた感がある。
不遇な環境だからといって、みんながみんな犯罪者になるわけではなく、現に加害者と同じ家庭環境で育った兄弟がいるようだけど、犯罪歴ありという情報は出てない。
生まれながらにして、ある程度社会で適応できる資質があるかどうかの違いは大きいとは思う。
甲府事件の加害者の父親のように窃盗罪で逮捕されてたことを考えると遺伝的になにかしら社会性の身に付きにくい性質があった可能性は否めない。兄弟の中でたまたま父親の遺伝子を色濃く受け継いでしまったのが加害者だった、というだけなのかもしれない。
同じ社会性が身に付きにくい性質の親子だと、他人と上手くコミュニケーションが取れない子供が、社会性を十分に学ぶことが出来ず、そのまんま社会に放り出され、そこから、それまでの隠れマイノリティの問題が徐々に浮き彫りになっていく。
加害者と似たようなマイノリティだった私としては、『死刑は当然だけど、加害者の家庭環境を思えば、気の毒な一面もあった』・・・といった、SNS上にありふれた話で終わってはつまらないので、育ちが悪いマイノリティの辿る運命について私の経験則交えて書くと
普通に、子供が学生から社会人になれば、文字どおり『社会に揉まれる』わけだけど、機能不全な家庭で育った子はまずその洗礼に耐えられるだけの土台が出来あがってないままだったりする。
例えとしては不適切で申し訳ないけど、先の能登半島地震の被災地の映像を思い浮かべてもらえれば分かりやすいと思う。
震源地に近い地域ほど壊滅的な被害を受けたが、同じ地域でも、かろうじて崩れ落ちていない家屋もあれば(半壊)、根本からポキっと折れたように倒れたビルもあった。
(倒れたビルの土台の杭に損傷があった可能性があるのだとか)
人を建物に例えるなら、同じようなことが言えるのではないだろうか。
震度7ほどの大地震なら、どの家が倒れても不思議ではないけど、土台からしてガタガタで平常時からやっとの思いで家屋の体を為してるような家だったら、震度2程度の揺れでも崩れ落ちるかもしれない・・・。
甲府放火事件の加害者は、例えるならそういう家屋のようなものだったのではないだろうか?(たかがLINEの既読無視程度で凶行に走るなんて)
私も生まれながら社会性を自力で身に着けにくいマイノリティの性質があって、さらに身に付く家庭環境ではなかったので土台ガタガタ。よく発達障碍者はキレやすいと言われるけど、その半分以上は成育環境によって土台がしっかり形成されてないからだと思う・・・・。
まともな教育がなされない家庭→まともにコミュニケーションが取れず学校で孤立→社会に出て上手く適応できず孤立
大人しい気質の人だったら、社会で孤立したら家に籠るのだと思う。それも、頼れる親が存在している場合に限られるけど。
親に問題がある場合は、当然自分の親を頼りに出来ないので、嫌でもなんとか働き口を探すしかない。
そうして、社会性ない人でも頑張って仕事をするわけだけど、当然のことながら、周囲とぶつかりまくって、職場の人間関係が上手くいかない。
家庭環境に恵まれなかった人なりに、自分の人生を変えたいという気持ちは強い。けれど上手くいかない・・・・どう努力すれば良いかすらも皆目見当もつかないまま、とりあえずやってみるんだけど
ふと見渡せば、自分の周りには、親から当たり前のことを与えられた人達が、当たり前のことを当たり前のようにこなしている。
そして、そんな人たちから、否定されつづける日々・・・・。
自分なりに頑張ってても否定される気持ち・・・それも自分より恵まれている(と思われる)人達からの否定。
上手くいかないたびに、腹の底にこう・・・沸々とした怒りをため込んでいくものだと思う。
生まれながらにして、ASD特性があると、ひとつの物事に執着しやすい傾向があり、愛着形成の問題から後天的に疑似発達障碍に至った人も似たような傾向があると思うんだけど、コレだって思い込んだものに執着する。
・・・それまで不遇を味わってきた身なら猶更のこと・・・その執着対象が自分の運命を変える唯一の突破口とばかりにさらに執着を強める。
それが、京アニの加害者にとっては京アニに自分の作品を認められることであって、甲府放火事件の加害者にとっては、好きな女性に関心を向けてもらうことだったのではないだろうか。
長年溜め込んできた腹の底の怒りが執着の対象に向けて一気に噴き出した感じ。
長年地下に溜まった歪が大地震を引き起こすように、犯行のきっかけ自体にはあまり意味はなかったと思う。・・・被害者にとっては、突然の災難としか言いようがないことだけど。
私も長年このブログをやってるわけだけど、社会に出て上手く行ってない方から『人類なんて滅べば良いと思わないか?』というコメントを頂戴したことがある(笑)
通常、社会的に孤立した人の8割くらいは、〇にたい、などと言い、自分が世界から消えることを望んでいるか、すべてがもうどうでも良いって人なんじゃないかと思う。(SNS上では実に多く見かけるので)
孤立した人の中の一部には、怒りを沸々と溜め込んで社会全体に恨みを抱く人もいるのだと思う。
京アニ事件や甲府放火事件の加害者も、実はそうだったのではないかと思う。恨みの対象が特定なようで、実は社会全体という不特定が対象だったような気がする。
放火・・・という犯行手段に、加害者の”すべてを消し去りたい願望”が垣間見れる気がしてならない
長々と書いてるけど、要は、成育環境という土台の構築ってマジで大事って言いたいだけ。
ここがガタガタだと本当に本当に、その後の人生が大変・・・・。
不遇な環境下でもなんとか自力で土台の補強に努めることが出来た、生まれながら社会性を身に着けやすいタイプの人はかろうじて崩れ落ちていない家屋のようなもので、深刻な被害を受けてはいるが、自身の努力でぎりぎりなんとかバランスを保っている状態なんだと思う。この人達だって、あと数回災難に見舞われたら、どうなるだろう・・・・?
毎度この手の記事で書いてるけど、私は『犯人だって可哀そう~』とか『こんな環境で育ったら、そうなるよねぇ・・・』的なことを言いたい目的で書きたいわけじゃない。
どんな不遇な環境だったとしても、上級国民であろうと、
量刑は平等で良いと思ってる。
なんの非も無い被害者からすれば、加害者の事情なんて全然関係ないわけだから。
ただ、後出しで言ったところで意味がないことだけど、加害者の成育環境のいたるところに、こうしていれば?という回避ポイントは多々あったんじゃないかなって思う。
そこに着目しないと、同じことが繰り返されるだけだと思う。
私は一般の普通の人よりか、ずっとずっと、こういった犯罪者の境遇や生まれながらの性質に近いものがあると思っている。
運良くそっち側に転んではいないし、加害者たちの実態は私の推測とは全然違うかもしれないけど、正直な気持ちを言いたいASD特性でもって書いたことが、なんらかの役に立ったら良いなと思う。