ゆたぼん不登校宣言に思ったこと | 発達障害家族の記録

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少年革命家を名乗る小学生YouTuberゆたぼんという子の存在はこのニュースではじめて知りましたが

中学も不登校宣言したことで各方面から賛否の意見が飛び交っている模様。


 

ゆたぼん君が中学も行きたくない理由は

 

・宿題が嫌だ

・みんながロボットに見える

中学の「生徒心得」を読み上げ、「まゆ剃り、化粧の禁止。色付きや香料ありのリップ禁止。装飾品、香水等を身につけてはいけないってやってられるかー!」と反発

 

などなど

 

私も校則ってやつは学校側が生徒を管理しやすい学校側の都合って認識です。私の学生時代は、学力の高い学校ほど校則の縛りは緩い傾向にあった。

要は、賢くない子供には規律で縛らねばってことなんだろうけど・・。

30年ほどたった今もそれは変わってないと思う。

 

集団生活なのである程度の縛りは仕方ないにしろ、そこばっかり重点を置いてる傾向が強いのが気に入らない。もっと他に大事なことってあるだろう!って思う

外見だけちゃんとしてれば、中身スカスカでも良いのか??

 

このゆたぼん君の父親とTwitter上でバトルになった西村ひろゆき氏といえば、論破。

 

私的には、ひろゆき氏だったら、学校行かない宣言に対して「行かなきゃいいんじゃない?」って言いそうなイメージだったので、この展開は意外だった。


因みにひろゆき氏はADHD的なもんらしいです。

 

 

もしも、(仮にですけど)ゆたぼん君がADHDだとすれば、どう頑張ろうと、ロボットみたいには、なりたくてもなれないだろう(笑)

 

個性を出すのはいつでもできるし、ADHDには超簡単な話だと思うので、多数派の世界に合わせるのに嫌気がさすとしてもこれからの長い人生、その多数派の世界で生きていくわけですから

 

多数派の世界と折り合いをつける方法を学んだ方が得策、という意味では私はひろゆき氏側の意見にも一理あると思っている。

 

ひろゆき氏の意見は、マイノリティが現実に直面する問題を言っているんだと思う。

 

 

 対して

学校に行かなくても、ホームスクーリングで学習が出来るから、教育を受けさせる義務の放棄には当たらないというのが、ゆたぼん君の父親の主張。

 

私の学生時代は学校はいやいや行ってましたし、学校の授業もほとんどまともに聞いてたことなんてなかったと思う。

それで、中学にあがる前に、このままだと高校進学無理だな・・・って焦って家で必死に勉強しました。

 

中学にあがっても、相変わらず授業はまもとに聞けず、テスト前になって慌てていちから全部自分で勉強してました。

 

授業の40分ほどの時間、ただじっと座ってるだけの苦行に過ぎなかったけど、ただ大人しく座っていれば、うわの空で聞いてなくても先生から怒られることはなかった。(授業中先生から指されるのは恐怖だったけど)

 

そんな私にとってはホームスクーリングのほうがだんぜん学習力アップになっていたと思う。

 

なので、学習力という意味では、子供によっては学校のほうが良いとは必ずしも言えないと思うので、ゆたぼん君のお父さんの考え方も間違いだとは思わない。

 

 

家庭学習で、学校と同レベルの時間と質を確保できるのか、と言うひろゆき氏の意見もごもっともだと思うが、学校は勉強だけでなく、集団生活を教える意味もあると思う。

 

(前の記事にも書きましたが)私のように両親からまともな躾をされてない子供の場合、学校という集団生活がなかったら、本当に社会適応の能力、限りなくゼロに近かったと思う・・・。

 

うちの親でなくても、完璧な親はいないと思うので家庭で至らない部分は外部との関りによってカバーするしかない。

 

ただ、その学校も学校で、教育の質の問題はあると思う。

 

私の住む地域の学校(子供の通った学校ではないけど)の中には、

校則はきっちり守らせるのに、生徒がイジメを苦に学校の屋上から飛び降りて亡くなったことがニュースになった。

 

イジメ問題となると学校側のポンコツっぷりが明るみに出るけど、集団生活の意味を問いたくなる。

 

 

 

 

 いろんな視点で考えてみると、

少なくとも、このゆたぼん不登校宣言について多方面から賛否両論あるけれど、どの意見も間違いではないと思った。

子供の教育に関しては、”これが正解なんて”ないと思う。

 

ただ、中学生までの子供にとって、家庭と学校概ねこのふたつの世界の中で生きるしかないわけで、これで十分と言えるんだろうか・・という疑問があります。

 

どっちか一方に問題があれば

家庭がポンコツな部分を学校がカバー、

学校のポンコツ部分を家庭でカバー、って

出来るかもしれませんけど

 

完璧な親もいなければ、完璧な先生もいないし

もしも両方ダメダメだったとしたら??

子供に逃げ場なくないか・・・。

 

それに、学校にしても、家庭にしても単独では、子供それぞれに見合った教育っていうのも難しい問題だと思う。どうしても、どこかに欠陥は出てしまうと思うから。

 

 

学校と家庭の二つだけで十分なバランスを取れる子供もいるだろうけど

どっちかが不十分だったり、学校、家庭の二つだけでは不十分な子供もいると思う。

 

置かれた場所で咲きなさい、ってタイトルの本があったけど

置かれた場所で生きていくために歪む子供もいると思う。

 

最近は不登校のお子さん専門の学校も出来たらしいですけど

子供はみな同じじゃないので、学校と家庭以外にもっと子供の教育に関わる機関があって選べたほうが、子供の教育にとって良いんじゃないかと思うんですよね。

 

 

今回のゆたぼん不登校宣言

 

私的にはただの論争で終わってほしくないかな。

 

色んな意見から多様な教育の改革に繋がってほしいです。