以前、このようなツイートを目にした。

「家族全員の食べたいものが違って、夕食の準備が大変!」


どういことかと思ってツリーを辿ってみると、

「家族全員に一人ずつ食べたいものを聞いて、それぞれにそれを作ってあげている」らしいのだ。


当然、「そんなもの、一つのメニューだけだして、今日の夕食はこれ!嫌だといわれても、今日の夕食はこれなんだからこれを食べなさいでいいじゃない」

というリプライがつく。


それに対してツイート主の方は、「私はそのように大人が圧力でねじ伏せる育児はしたくない。いつも(食べたいものではない)学校の給食をがんばって食べているのだから、夕食くらい好きなものを食べさせてあげたい」

というようなことを答えていた。


何だかわかるようなわからないような…でも私には「わからない」が圧倒的に勝る考え方だと感じた。


まず、「今日の夕食はこれなんだから食べなさい」というのは暴力ではないと思う。それで殴ったり、威圧的に「何ぃ?食わねぇならぶっ◯すぞ!」などといえば暴力であるが。


小さな子であれば、「おいしいよ、少しだけでも食べてみよう」と優しく促すだろうし、嫌いなものが食べられたら褒めてあげるだろう。

保育園や幼稚園でも給食(お弁当)嬉しいね、おいしいねという教育をしていると思う。

そうやって色んな味に親しみ、味覚が育ってどんなものでも食べられるようになる。


家で一人ずつ一番食べたいものを聞いてそれぞれ違うメニューを出すという不自然なことをしていなければ、出されたものを美味しく食べるということは自然にできてくることだと思う。


このツイートのような育て方をしていると、

いつも自分の一番食べたいものが食べられないと満足できない、そんな人間に育ててしまうように思う。


出されたものは何でも喜んで美味しく食べられるほうが、人生における食に関する幸福の総量は増すだろう。


給食だって、食べたいものが食べられなくてかわいそうと親が思っているのは問題だ。

そういうのは子供に伝わるし、作ってくれた人、食事を提供するまでに関わった人々、犠牲になった生き物に対する感謝の気持ちも生まれにくい。


一番食べたいものが食べられない自分はかわいそう、食べたくもないものを食べなければならないのだから不満を持って当たり前、食べたくないものを出してきた人たちに感謝なんて感じないというようなことになってしまう。


食事だけではない。

あるものに目を向けず、ないものばかり数えていては不幸になってしまう。


いつも給食が食べられて、おいしい、しあわせだな、いつも夕食をつくってくれるお母さんがいて、いつも美味しい、しあわせだ。

お父さんはちゃんと仕事をしてくれる。

風雨をしのげる家もちゃんとある。


このように、ないものに目を向けるのではなく、あるものに目を向ければ幸せを感じられやすい。


食育というと、鰹節と昆布で出汁をとったお味噌汁、化学調味料はつかわない、そういうことが大切だと語られることもある。

たしかに素材の味を美味しいと感じる豊かな味覚を育てることはとても大切なことだ。

知能にも影響するかもしれない。


しかし、化学調味料が入ったお味噌汁は不味くて食べられない!

となってしまうのは少し違うと思う。


誰かが、たまにはマックなどにいってジャンクなものも食べられるようにしておくのも食育だと思うと言っていたが、そのとおりだと思う。


特に男の子は結婚すると妻に食事を作ってもらうことが多くなると思うが(未来には夫も同じくらい作るのが普通になるかもしれないしそのほうが好ましいと思うが)、化学調味料なんておふくろは使ってなかったとか、おふくろは一番食べたいものを毎日作ってくれたなどと言い出してはダメ夫であり、食育の失敗であるとも言える。 


また、最近では嫌いなものも個性として認めようということで、嫌いなものを食べなくて良いということにしている学校などもあるらしい。一見良いことのようにも感じるが、一歩立ち止まって考えてみたほうが良いと思う。


もちろん、アレルギーであったり、発達障害などによる感覚過敏で食べるのがすごく辛いのであれば無理に食べさせるべきではないが、

そうでないのなら一口だけでもがんばって食べるくらいはして良いと思う。(どうしても辛いなら鼻をつまめば味を感じない)


食べられないものを食べられるようになるコツは、「美味しいと思って食べる」ことだ。

口に入れた瞬間「ウマーー!」と思って食べると食べられるようになる。


そして敢えて味わって食べてみる。その食べ物の美味しさを探すように味わって食べると美味しさに気づくことができる。


食べられないのは、味に慣れていないからというのがほとんどだ。

気持ち悪くなって吐いてしまうのも、味に慣れていなくて拒否感を持ってしまうため。

美味しいものだと思って食べることで拒否感をなくし、美味しさに気づくことができる。


好き嫌いも個性、と嫌いなものを認めるより、このようにして大人になるまでに食べられるものを少しずつ増やしていくと、なんでも美味しく食べられるお得な体になる。

何でも食べられれば健康にもなるだろう。

好き嫌いをなくす、ではなく、「何でも好き」になるのだ。


長くなってしまったが、何でも美味しく食べられたほうが幸せだよね、ということだ。


もちろん、おかしな味付け、濃すぎる味付けに違和感をもったり、腐ったものを匂いや味で判断できることも大切だ。


しかし、給食や普通の味付けの食事であれば、出されたものはなんでも嬉しい、美味しいと感じられたほうがお得な体質だろう。


今日の夕食はこれなんだからこれを食べてね、というのは虐待ではない。

無論時々メニューに迷ったときや子供が頑張ったときなどに、何が食べたい?と聞いてそれを作ってあげるのは問題ないだろうし、子供が親の愛情を感じることもできるだろう。


ツイートの方であれば、月曜日はお父さんの食べたいもの、火曜日は長男の食べたいもの、と希望を出せる日を決め、そのメニューをつくる、他の人は文句を言わず食べる、とすれば家族の食べたいものを食べさせてあげたいお母さんの気持ちを満たしながら、他の人を思いやったり、食事に感謝し出されたものを美味しく食べる心も育つのではないだろうか。