教育は広義の洗脳であると言われる。


しかし教育と洗脳には決定的な違いがある。


教育はその対象が自由になるためのものであるのに対し、洗脳は対象の自由を奪うものであるということだ。


自由になるためには教育が必要であり、それはその人個人の意見、考え方を持つことでもある。

その逆が洗脳であると言える。


あるカルト集団では、個人の意志を持たない人間になることで、争いのない平和な社会、ユートピアを築くことができるとしている。


無所有を教義とし、個人という意識を持たず、参画時には体や命さえ集団の判断に委ねるという誓約書を書かされるという。


しかし個人の意志を持つなといということは、人権が無いのと同義である。


人権がないのだから権利の衝突である争い、戦争も起きないということなのだろう。


しかし実態はリーダーの意志が参画者全員の意志であると思うよう洗脳をされているというのが実態であった。


実際この集団では多くの問題が起き、特に子どもたちにとってはディストピアとなり精神障害を患う子や自殺者も出た。


教育は自由になるためのものであるべきであり、洗脳とは逆のベクトルにあるものである。


そしてそれは人権、ひいては民主主義と結びいている。


義務教育の最も重要な意義とは民主主義を維持するということだ。


人は教育なくしては自分自身の意見を持つことはできない。


もし人からある意見を聞いたとして、色々な知見がなければ、なんと素晴らしい考えだろうとその意見を採用し自分の立場としてしまう。


しかし多くの知見があればその意見の問題点も見えてくるし、別の視点からの意見も考えることができる。


多くのことを知り、知能を向上させることなくしては自分の意見を持つことはできない。


これは民主主義を維持する為に必要なことでもある。


国民がある程度の知能を有さなければ、国民が意見を持つことができず民主主義は成り立たない。


義務教育は、独裁政権から民主主義を守るための仕組みでもある。


政府が教育に力を入れていないとすれば、民主主義の危機を懸念したほうが良いかもしれない。