離婚と離婚にまつわるエピソードの次は病気編です。






ネタの宝庫でして、もしかしたら既にアップしたブログを読んでいただいた方が判りやすい可能性もあります。





次女は高校に入ってから膝と腰の痛みをしきりに訴えはじめました。





中学の時に比べれば運動量はかなり増えたのでオーバーワークの可能性もあると考えて、そのうち治るから体を動かして徐々に慣らしていけばそのうちによくなると伝えて部活を休ませませんでした






私の直感は的中🎯でした。女子高校生なのに身長が5cmも伸びました。いわゆる成長痛のようです。





まだ、膝や脛がミシミシと音が鳴るらしいのでもう少し身長が伸びるのかな?と思います。





7月には足の小指が骨折しました。






その時に受診した整形外科のDrには部活禁止と言われて素直な次女は休んだのですが、顧問に部活に参加をしなさいと言われ、出来る練習をやっていたら3日ほどで元の練習メニューをこなしていたようです







痛いからと逃げていたら出来なくなると身をもって知ったようです。






私は昨年の4月にてんかん発作を大人になってから発症しました。  かなりの重症だったらしくてICUので中で深鎮静管理と言う24H麻酔をかけててんかん発作がおきなくなるまで寝かせ続ける治療をしていたようです。






目覚めたら喉に管が入っていて話せないし体中が管だらけになっていました。そんな私は治療の副産物?副作用?で脳梗塞と右半身麻痺にもなっていました。






11月に病院を退院するまでは毎日リハビリをしていました。退院して1年経った今も杖を使用しながら歩行をしています。自宅の中では数歩ならば歩けるようになったけどカニ歩きだし、通常の二足歩行はバランスがとれないので無理です。長距離歩行なんて更に無理。






ちなみに階段やエレベーターに乗る事も出来ないですね。







練習は続けて行きますがいつになったら元の走り回っていた自分に戻れるのかは不明です。






他には[子宮腺筋症]が悪化してとうとう子宮と卵管を摘出しました。






始めはホルモン剤を飲んでいましたが、副反応で指の関節が曲げられなくなってしまったので別の種類のホルモン剤に変更したら大量出血をしてしまう始末。






次は、[ミレーナ]という子宮に取り付けるホルモン剤を先生に勧められて(体に合えば5年は使えるそうです)使ってみたけれど2ヶ月で自然に落下してしまい、大量出血が再開しました。






他にも治療法がありましたが高額ですし、私の服用している内服薬との兼ね合いがあります。そして、どんな治療をしても体に合わ無い可能性が高いので副反応の高い薬を数ヶ月飲んでから手術に踏み切る事にしました。






手術は成功して無事に帰宅しました・・・・・が、2ヶ月後







まるで子宮が戻ってきたような大量出血がおき、止血するために再入院しました。






入院した日の夜に大量出血が原因のショックで意識を失いました。






輸血と開いた傷口を再縫合して10日入院しました。







その後、落ち着いていますが貧血がひどくて薬を飲み続けています。






それだけの大量出血だったという事なのですね。







私の父親は糖尿病です。その他にも計3回の脳梗塞を発症をしていました。仕事を退職した後にアルコールに溺れてしまい、それが原因でアルコール依存症と認知症になりました。






家族が介護生活を続ける事が難しくなったので3年前から老人ホームに父親を入居させています。






今年の3月に老人ホームの中で転倒をして大腿骨を骨折しました。






本当は手術をする予定でしたが、体調が悪化したので内科の先生に許可を貰えず、装具を着けて自然に治癒するのを待つことにしました。






父は歩行意欲を失って車いすに乗るだけになりました。







7月には血尿になってしまい膀胱ガン騒ぎを、12月には食事が一切取れなくなり脳梗塞(4回目?)騒ぎもあります。






今後、何が起こるのかわかりませんが、積極的な治療は断りゆっくりと静かにその後を迎えようと母と話し合いました。






確かに急性期病院に搬送をしてもらい治療をしてもらえば寿命は伸びると思います。






今年だけでも痛みを伴う治療を何度も繰り返し、その度に『痛い、痛い。イヤだ、帰りたい。』と泣き続ける父親を見ているとこれ以上辛い治療をさせる事に意味はあるのだろうか?と自問自答をしていました。






治療をさせる事は私の自己満足に過ぎない!!という結論に至り、次は静かにその時を待とうと決めました。私の決意を母と妹達に伝えました。






皆、私の決意に賛同をしてくれました。







命の終わりを決める・・・そんな辛い事を決めるのは荷が重すぎます。






何とか2022年は迎えられそうです。何処まで頑張れるのかは父の生命力次第です。