昨日は赤れんが建物がビール工場だった頃のことを書きましたが・・・
今日は悲しい歴史を。
赤れんが建物は第二次世界大戦中、中島飛行機(現、富士重工業(SUBARU))の衣糧倉庫だったそう。
絵葉書をいただいたので・・
昼間に見るとこんな感じだそうです。
とっても綺麗な赤れんが建物ですが北側には悲しい傷跡が・・
壁面にある無数の穴は米軍機の機銃掃射痕。
私は掃射痕というものを初めて生で見ました。
建物下方にも傷跡がありさわってみましたがなんともいえない気分。
大きさは3,4センチありゾッっとしました。
来年から補修工事にはいる赤れんが建物。
どのくらいかかるのかは知りませんがきちんと手を入れて残して欲しいと思う建築物でした。
工事が終わって公開されたらまた訪れたいと思っています。
(説明書きはパンフレットより引用させていただきました)




