お久しぶりです。
何だか嘘も誠か、
誠も嘘か、
もう何がなんだか分からないような事が、
いろいろと起きていますね。
世の中、
嘘を突き通すことで辿り着く美しい真実もあると思いますし、
嘘が、
結果誰かを感動させ、
その感動が、
とてもかけがえのないものになることだってあると思います。
すべてが真実と本音と透明さだけだったら、
この世はなんてつまらないだろうとも思います。
しかしながら、
ここまで多方面の人の気持ちを欺き、
傷つけ、
侮辱する壮大な嘘をつこうと、
一度決めたのであれば、
嘘をつく者の務めとして、
その嘘を最後まで突き通す努力を、
何故に怠ったのだろうと、
正直なところ思います。
その嘘がバレることによって、
とてつもない人の気持ちや功績に傷をつけることは分かっていただろうに……。
……と同時に、
どんなに緻密で巧みな嘘も芝居も、
いつかはボロが出て、
正直な人の気持ちを最後まで欺くことなんてできやしない……。
ということを、
改めて感じた次第です。
だったら。
嘘だと分かった真実に対して、
正直な気持ちと姿勢で向き合うことも、
欺かれた者たちができる最大の反撃だと思うのです。
結局、
今回の『作曲家問題』で明らかになったのは、
ゴーストライターだった彼は、
純粋に優秀な作曲家だということ。
そして、
誰が作ったか…に拘らず、
それらの楽曲は、
人の心を揺さぶる素晴らしい音楽だということです。
さらに個人的な『気持ちの軌跡』を辿れば、
大ちゃん(高橋大輔選手)の今季SPの演技を初めて観たときに覚えた感動は、
とても純粋なもので、
プログラムに使われている楽曲も、
彼の演技プログラムのひとつの要素として、
とてもとても素晴らしいものだと感じた自分は嘘ではないということ。
その時点で、
私はその楽曲が、
どういういきさつで、
どういう人物が作曲したものかというストーリーを、
一切知らない状態で、
『いい曲だな。』と感じたわけですから、
そんな自分の感性までをも、
否定したり、
捻じ曲げたりする必要はない。
ということです。
ここで、 欺かれた私たちが、
意味を履き違えてしまったら、
それは私たち自身が、
自らの感受性を否定することになってしまいます。
よく、
『音楽に罪はない』なんていう綺麗な言葉がありますが、
今回こそ、
それを肝に銘じる時だと思います。
確かにミソやケチは付きました。
今までと同じようにその音楽に向き合えと言われても、
もはやそうはいかない……かも知れません。
でもね。
ここで『騙されたー!』という負の感情だけに流されていたら、
それこそ負けたような気がしませんか?
仮に、
その『嘘をついていた作曲家』の背景や、
彼にまつわる様々なストーリーも含めて、
これらの音楽に心動かされていたというならば、
今一度、
楽曲だけを聴いてみましょうよ。
それでももう、
以前のような感動がなくなっていれば、
それだけの力しかない楽曲だったのかも知れません。
しかし、
それでも尚、
心打たれる何かを感じ取れたならば、
それこそが、
その楽曲の持つ本当の『力』であり、
その『感動』は、
まっすぐで純粋なものなのではないでしょうか。
ましてやこんな時期に、
よくもまあ、
ネガティブな印象や先入観を植え付けてくれたもんだと、
心底腹は立ちます。
だけど、
そんなものに支配されてたまるか……という思いの方が、
強いことも確かです。
私は、
大ちゃんの『バイオリンのためのソナチネ』のプログラムが、
本当に好きなので、
この自分の気持ちだけを信じて、
彼の演技を観たいと思います。
その自信はあるんです。
なぜなら似たような経験をしているから。
中学生の頃、
とても好きなヒット曲がありました。
その曲は、
当時の私の日常のBGMとして強く刻まれている曲でしたし、
それを歌う歌手の映像も、
強烈な記憶として今も残っています。 、
しかし、
その曲が世界的な賞を獲って、
ほどなくした頃、
実は、
楽曲のボーカルは、
表に出て歌っている歌手本人のものではなかった……という事実が、
発覚してしまったのです。
結構な騒ぎになり、 、
私も一瞬、
とても寂しい気持ちになりましたが、
それでもやはり、
その曲は、
今も、
当時の日々の中の、
好きだった記憶のひとつとして変わりませんし、
その楽曲に対する想いもほとんど変わりません。
そしてこれは、
鮮やかに欺かれた時に、
自分の感性を信じて乗り切る、
ひとつの『成功体験』として、
とても役立っています。
だから私は、
作曲家が誰であろうと、
今ここにある楽曲の力に魅了される自分の感性を信じて、
自分が大好きな大ちゃんの演技を、
自分の心赴くままに観て、
感じたものに心動かされたいと思います。
今こそ、
小島ヨシオさんに、
『でもそんなの関係ねぇ!オッパッピー!』と、
叫んで頂く時ではないでしょうか。
なんか、
デビ夫人の文章みたいになっちゃったわ。
とにかく、
『こんなんじゃ、もう感動なんてできない!』
というお気持ちも分かりますが、
そんなものに負けてしまうのも、
勿体ないじゃん!
てことです。
もう理屈や薀蓄や、
上乗せされた付加価値ばかりを求めたり、
左右されるのも、
大概にしておきましょう。
伊勢エビだと言われ、
伊勢エビだと思って、
食べて、
美味しいと感じたバナメイエビが、
本当は伊勢エビじゃなかったことを知った時。
唯一、
紛れもない真実なのは、
『バナメイメビを食べて美味しいと感じた自分』
だけだってことです。