その日暮らし



長浜城です( ´艸`)




秀吉の城上げ上げ


あ、一豊の城のイメージもあります。




ここの天主から見る琵琶湖は絶景ラブ








その日暮らし





うーみー!!!






違。




でも勘違う程の壮大さです。




美しい。 眩しい。 天下人もこの絶景を見ていたとか思うと滾る。




奥に彦根城っぽいの見える?? 

結構近いんだねッ!!!!!






そういえば、長浜の駅には来年の大河「江」の宣伝が豊富でした。


その時はまだ「龍馬伝」もやってなかったんだけどね笑




やっぱ浅井と縁深いこの地ですもんね、早々に乗っかっていかなきゃねww






で、忘れちゃいけない長浜の駅では








その日暮らし





出会いの像!!




秀吉と三成の、


あのっ、有名なっ、三献茶の像ッ!!!








これかぁ~キラキラと感慨深く眺める私。





周囲は、丁度帰宅時間だったらしくて学生さんだらけ。





興味深気に眺めて写真を撮っている私と友人に好奇な目を向けられました。





お前達、コレ凄い像だぞ!?





ちょっとこの二人、すれ違い気味の視線だけど!!








視線交じ合わすの恥ずかしかったの??





有名です。三献茶ストーリー


秀吉に仕える事のきっかけになった三成のターニングポイント。





秀吉がこの長浜の城主だった頃に、鷹狩をしていて


途中、観音寺に休憩で立ち寄った。





そこで秀吉は茶を所望すると、少年が


大きな茶碗にぬるい茶を持って来た。




喉が渇いていた秀吉は一気に飲み干すと、おかわり。




二杯目の茶碗は先ほどのよりも小さく。湯は少々熱めで量は半分くらいだった。




秀吉は三杯目を所望。




三杯目の茶碗は高価な小茶碗で、中身は熱く、量はほんのわずかだった。




秀吉はこの少年の心遣いに感服して、長浜城へ連れ帰ったという。




この少年こそ、三成の幼き頃、(幼名)佐吉だった。








ホンマかいな~笑




そういえば、大谷吉継も同じ寺で学んでいたというのが通説で、


非常にとっつきにくくて周囲に反感ばかり買っていた三成が、唯一心を許して


兄のように慕っていたのが吉継で、ずっと関ヶ原まで変わらぬ友情を育んでいくんですけど・・・




大谷好きなんで色々小説読みましたけど


その中の一つでこの三献茶を入れ知恵したのが吉継だった、ってのがあって投げKISS


吉継好きだから、コレも有りかと思ったが、是非コレは三成の功績であって欲しい・∀・






三成は、この像のある所から5キロ東にある


長浜市石田町の土豪の子をして生まれ、今も出生地辺りには


官名にちなんだ治部という小字が残っています。




観音寺には、茶の水を汲んだと伝わる井戸が残ってますよ!






三成好きの方が結構この石田町のレポしてくださってるんで


見たんですけど、イイねこの町!




いつか行きたいにへ