慈想音楽家 美千光です

 

日課の【海まで朝散歩】。


到着すると突堤の先まで進み、

ひとしきり海の上で過ごします。


日によって海の色も空の色も違い、

波や空の高さも違う。


自然の姿からは

日々気付かされることがあります。


そんな時は、

些細なことまでキャッチしては

そこまで考える?と思うほど考え込む

めんどくさい自分の特性も

捨てたもんじゃないと思えます^_^;



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昨日は波打ち際を歩いていると、

可愛いものを沢山発見。


それはワンちゃんの足跡。


しっとりと濡れた砂浜には

飼い主さんのものであろう大きな足跡と、

大きなワンちゃんや小さなワンちゃんの

足跡が重なります。


『どんな風にお散歩したのかな?』

『小さいワンちゃんの足跡はあっちこっち

向いてるから、はしゃいでたのかな?』

『足は冷たくなかったかな?』


想像を巡らせながら足跡を眺め、

ずっと辿っていましたが…



『私の足跡は?』



振り返ると沢山の足跡の中、

私のはどれかなんて見分けはつきません。



必ずあるはずなのに。



今度はしっかりと踏みしめて、

すぐに振り返ると…


ちゃんとありました。


思っているよりも小さく、

ちょっと外を向いた足跡。



見ようとしなければ見えず、

紛れてしまっているから見分けはつかない。


そこにあるのに





心と同じです。



人から批判されるのが怖いから、

誰かの言う通りにしておけば安心。


だから自分の意見なんて主張しないで

大勢の中に紛れ込んでしまおう。


長いものに巻かれていれば大丈夫。


こんな小さな努力なんてないのと同じ。


だからやってもやらなくても同じ…




そうではないのです。


沢山の中に紛れ込んでいても、必ずある。

見ようとすれば必ず見える。


そしてどんなに小さな一歩であっても、

そこに必ず足跡は刻まれる。


先人や偉大な背中を追うことは素晴らしい。


だけど、追う自分の足跡だって刻まれる。

どんなに小さくても薄くても。



そしてふと感じた事や、

『こうなったら素敵だな』という

自分の心の素直な声も、

大切にできたらいいなあと思います。



見ようとしてなかったのは自分。

無かったことにしていたのも自分。



誰かの足跡ばかり見ているのではなく、

時には振り返ることも大切ですね。


その小さな足跡を刻んだのは
紛れもなく自分であり、
そこにちゃんとあるのですから。



夏炉冬扇 かろとうせん


夏には重宝がられる扇も、

冬には有り難がられる暖炉も、

季節が変われば役目はないと思うが

そうではない。


夏でも暖を取りたい時もあり、

冬でも暑さに思わず風を煽ぐこともある。


今、その場の中心でなかったとしても、

扇も暖炉も、その価値をなくしたわけでは

ないのです。


人は自分の人生の主人公であるべき。


でも、いつもいつもその場の中心で

なくて良いのです。


たとえ目立たぬ立場であっても、

その場所からしか見えないものもある。


そこで感じた事は自分の中に積み重なり、

その時の自分も確かに主人公なのです。



画像はお借りしました。

朝散歩には基本スマホは持っていきません。



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