これは私の覚書。 これをあげるかどうか 書くかいっぱい考えたけど 書きたい 残したい。
そしてつなげたいので どうやって書けばいいのかわからないけど 書くことにした。

前回の日記を日本時間の一日午前にあげてるはずで
まろんのおばあちゃん ガールズのひいばちゃんに お礼のメッセージを書いていた。

そして 二日の朝 起きたら ばあばからメールが入っていた。
『みっちゃん婆ちゃん 勉じいちゃんのもとに旅ました
会えなかったけど 苦しまずスーと往ったそうです 父母は今夜ここで婆ちゃんと一緒にいます
婆ちゃん綺麗だよ』


 実は 体調はあまり思わしくないと聞いていた。 
その頃より ガールズに「ママみっちゃんにお手紙書くね」 と言いながら 私は趣味だった写経(これは おばあちゃんの影響)を連日していた。
はじめた初日 それを見ていたガールズ 紙とクレヨンと取り出し 私の横で「 みっちゃんへ~」 と書いてるつもりの波線(口ではみっちゃんといいながら まだ字はかけない)を書き 絵か文字か不明なものを書いていた。
そして
その紙切れを 椅子の背中に立てかけ 手を合わせて 「みっちゃん 大すき みっちゃん ありがとう」 
となぜか言い出していた。
私は 祖母の調子が悪いことは何も口にはしていない。
なのに 何かを感じ取り 二人で 椅子の紙に向かって手を合わせ祈っていた。
 そんな話を 従姉にしたら 「その紙と写経を送っておいで」 と言われて まろんの祖母 みっちゃんへ届けてもらうべく郵便を出していた。


 ばあちゃんは 逝ってしまった。 
とそのメールを母からもらった後 涙がぽろぽろ出てきて ガールズの前で  「みっちゃん とおくにいっちゃった。」 と言うと なっちゃんが 「だいじょうぶ なっちゃんが助けに行くから」 と言っていた。 
 「でも遠いとこやねんで」 というと 「 大丈夫 なっちゃん これ付いてるから」 と背中に背負ったハーネスの蜂の羽を指していた。
 ばあちゃんは 逝ってしまった。
そうは書きたくない。 ばあちゃんは 私が生まれた年に旦那さん(まろん祖父)を事故で 要介護になった
寝たきりのおじいちゃんを 私が10歳の時まで ほぼ在宅で介護をしながら 本家長男の祖父の家 田畑を守ってきた。 
おじいちゃんの見れなかった 8人いる孫の成長 進学 成人式  就職 結婚式(私は嫁に出た娘の子なのに 家族写真にばあちゃんにはいってもらってる) を見守り たくさんのひ孫 うちのガールズ含め に会い たくさんの愛情をあたえてくれ 母のように心配してくれた。そんな ばあちゃんが逝った とは言いたくなく おじいちゃんとこへ やっといけた と言いたい。

 元気だったおばあちゃんは うちの母(いまは ばあばだが 数年前までは 孫も見れずにいた) 末娘 そのままな末娘で いっつもばあちゃんは 県越えてよくうちの家に来てくれて まろんの母の心配をしていた。
私も そうだが うちの母も元気に父と喧嘩をする。
そんな二人をみながら 「いいよね ほんと 喧嘩する相手がおるんじゃから あっちは おらんのじゃ」
と言っていた。 
そして デイサービスの行事で お習字があったとき 好きな言葉を書いてねと言われて
おじいちゃんの名前を お習字で書いていたおばあちゃん。
こっちから みたら おばあちゃん亡くなって 逝ってしまったんだけど おじいちゃんにしてみれば やっと ばあちゃんが積もる話持ってきてくれると思ってると思う。


 お葬式が行われた昨日 お骨上げも終わったと聞いた後 
 ガールズと旦那とおばあちゃんへ みっちゃんへキャンドルをともしに 教会へ行った。
 その帰り いつも排ガスでくすんだこの街の空気が なぜか今日はすんでいて この空におばあちゃんが すぅ~とあがっていくその空気だけを感じた。
 泣いて送りたくはないけど 涙しかでない。
言い尽くしても言い足りない ありがとう しか言葉が出ない。
教会を出て 「みっちゃん おそらにいっちゃった」 と ぽろぽろ涙が流れながら言うと あっちゃんが 「大丈夫 すぐ帰ってくるよ。 今ねんねしてるの」 と私を抱きしめてくれた おばあちゃんが抱きしめてくれてるかのような温かさだった。

遠い青い空の下 私が元気で笑っていてくれるだけでいい と言ってくれたおばあちゃん
遠い空の下からしか 送ることが出来なかったけど 今日の青空は 透き通るようにきれいでした、
言い尽くせないほど ありがとう。 みっちゃんを誇りに思う。おばあちゃんの孫に生まれて私は最高に幸せでした。


私の写経とガールズのお手紙を おばあちゃんの胸に入れて旅立たせてくれた従姉が

祖母から母に
母から子に
そして、将来、
またその子達に…
まろんさんも、私も、注がれてきた愛情を、受け継ぎ、大切に、
その愛情を次の世代に注いで行きましょう

こんな言葉をくれた。
ガールズがうちに来てくれたときからの不安 毎年母の日に感じる不安
私は 私がしてもらったことと同じことを この子達にしてあげれるのだろうか
そう思って不安になるけど 現実 母がしてくれたことよりも上を行く育児なんてしてあげてないような気がする。
私にまで つながり 注ぎ込まれてきた愛に 私の分乗せたら 増えてるはずなのに そんな風になってない気がする・・・

 きっと かなわないだろうけど みっちゃんに胸はれるようにがんばって生きたいと思う。
従姉ちゃんの 言葉が胸にしみる。 これからにつないでいけるようにしたい。




みっちゃんとしたたくさんのことを思い出す。
一人暮らしの家に バス電車地下鉄乗り継いで来てくれた事
公園散歩した時に ばあちゃん初の上京物語を教えてくれた事
ばあちゃん送りに運転中 話し盛り上がりすぎて 大型トラックに国道ではさまれそうになったこと
ばあちゃん迎えにいってばあちゃん乗せて出る時に 車でバックしたら ばあちゃんの竹やぶに 車のお尻突っ込んで 跡継ぎに怒られたこと。
帰国の時は 何度も空港まで来てくれたこと
ぽっぽやの映画みたいと言うので一緒にいったとき 階段で手をつないだこと
牧場にいって 牛乳アイスたべて 顔出しパネルに顔入れて写真とったこと
一人暮らしの家から実家に帰ったら 鍵持ってないのに母のこと心配して来て 裏口の石の上に座っていたこと
家じゃなくて最寄の駅でベンチに座り 見知らぬ人と話して 私や母を待っていたばあちゃん
両手いっぱい お米や野菜を持って鈍行の電車に乗ってきてくれたばあちゃん
母が作ってくれなかったのに ばあちゃんは作ってくれた ポテトチップス
ばあちゃんからもらった国際郵便 カタカナまじりの手紙
いまだに私は言えないのに 北米の五大湖の名をすらりと言い切り 自慢げに笑ってたおばあちゃん
妹のスキーウェアー買いに行って 歩けないけど付いてきてくれて お店の前ですわってたおばあちゃん
泊まりにいくと いつもばあちゃんの部屋で 一緒によこになってると  「まろんみてみ みな ばあちゃんのこと太ってるって言うけど ほらこうやって寝転んだら ばあさんお腹ないやろ?」と 同意を求めていたこと。
うん ばあちゃん今私そんな感じ! そんなDNAはきっちり受け継がれている。
まだまだ 思い出しきれないもの もっと小さかった頃のこと たくさんありすぎる。

めっちゃかわいかった。 そしてめっちゃやさしくて わたしにとっては大きな大きなお母さんだった。
ありがとう。 いい足りないありがとう。
もっとおばあちゃんと過ごしたかったけど ガールズとももっと遊んで欲しかったけど
おじいちゃんとも会いたがってたよね おじいちゃんも待ってたと思うので おじいちゃんにこちらの話たくさん話してあげてください。おじいちゃんに おじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれた私の七五三の着物はガールズが着て七五三参りしたんだよ とてもいい着物で 着付けの人にも褒められたよ 大事にしてまだまだ着せるからね ありがとうねと おじいちゃんに伝えてね。

ありがとう。いっぱいありがとう。