第33話「嫌われ政次の一生」の極端な盛り上がりを受け、拙サイト(当ブログ)も随分とその恩恵を受けてしまった訳だが。

  

 

   しかし元はと言えば、アクセス数を稼ぐ、ランキング上位に登りつめる、注目を集める…といった派手なことは一切度外視し、ひたすらに大河への想いを純化させるコンセプトから始まった拙サイト、いまだからこそ原点に回帰し、いま一度私らしい記事を綴っておこう…いまだからこそ。

 

黒澤明と大河ドラマ。

 

 

 このふたつの一見相容れないモノ同志の対比を通して、あまり他では見かけない様な評論を目指してみようかと思う。

 

 まず黒澤明と言えば何をさておいても『七人の侍』。この代表作からは多数の大河出演者を輩出しており、主演クラスを挙げてみても、

 

・志村喬  (『樅ノ木は残った』)
・加東大介  (『樅ノ木は残った』『新・平家物語』他)、
・稲葉義男  (『太閤記』『峠の群像』)、
・木村功  (『新・平家物語』『元禄太平記』)、
・千秋実  (『国盗り物語』『獅子の時代』)、
・宮口精二  (『風と雲と虹と』『峠の群像』『徳川家康』『山河燃ゆ』他)

 

  …とまぁ、容易に大河との縁を想像してもらえるかと思うが…流石に三船敏郎の出演は実現出来ていない。

2017/8/27 追記:誤り。1984年『山河燃ゆ』において、主人公・天羽賢治(松本幸四郎)の父・天羽乙七として三船が出演している…無論全盛期は過ぎてはいたが。

 

 また直接黒澤が育成した訳では無いにせよ、仲代達矢は周知の通り『七人の侍』の通行人でエキストラを経て、『用心棒』(新田の卯之助)『椿三十郎』(室戸半兵衛)で三船の好敵手に抜擢され、のちには『影武者』『乱』にて、後期黒澤の世界を演出する重要な役割を担っていた。

 

 

 

 そして大河では『新・平家物語』の平清盛で主役を、出演は叶わななったものの『樅ノ木は残った』で平幹二朗が演じた原田甲斐の候補に挙がっていた。

 

 だが何といってもニンマリさせられるのが、『風林火山』の武田信虎を演じた時。

 

 

  念のためわざわざ書いておくと、武田信虎は『影武者』で仲代が演じた武田信玄の実父である。仲代は親子二代の武田を演じた、希少なる俳優なのだ。

 

 音楽に目を向けると、早坂文雄に次ぐかつての黒澤組の重要スタッフであった佐藤勝『三姉妹』『春の波涛』にてサントラを担当していた。そして『影武者』での黒澤との対立を経て以降、佐藤は黒澤映画の音楽を降板、『影武者』では『黄金の日日』を手掛けた池辺晋一郎が後任となった。そして池辺は大河にて『峠の群像』『独眼竜政宗』『元禄繚乱』を手掛け、後期黒澤作品では他に『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』のサントラを制作している。

 

   

早坂文雄

 

佐藤勝

 

                      

池辺晋一郎

 

 ひと言だけ触れておくと賛否両論はともかく、『影武者』サントラは池辺の仕事の中でも『黄金の日日』と双璧たる出色の出来で、以降大河を手掛ける回数が増えたのは『黄金』と『影武者』があったからだと、私は信じている。

 

 大河のサントラから黒澤作品(後期)に抜擢された例と言えば、これ一作のみだが『源義経』の武満徹。前衛音楽家としても著名な武満は『乱』でもやはり前衛的かつ印象的な旋律を残している。もっとも、『乱』では黒澤が勝手に武満の音源にミキシングを加え、武満を激怒させたことでやはり対立、以降二度と黒澤と仕事をすることは無かった訳だが。

 

武満徹

 

 他の関連を覚えている限りで挙げておくと…。

・ 1993年の市川海老蔵が主演した『武蔵 MUSASHI』は初回から『七人の侍』の映像からの盗作が指摘された挙句裁判沙汰にまで発展し、未だにDVD等の商品化は無い。

・ 『国盗り物語』にて徳川家康を演じた寺尾聡は、『乱』にて一文字秀虎の長男・太郎孝虎を演じている。また寺尾はこののち『軍師官兵衛』でも家康を演じている。

・ 『黄金の日日』にて石川五右衛門を好演した根津甚八も、『乱』にて一文字秀虎の次男・次郎正虎を演じている。

・ 最近俳優として復帰の兆しがある隆大介は、もともと『影武者』の織田信長を演じたことで名を成し、以降『乱』の一文字秀虎の三男・三郎直虎としても出演。大河では『峠の群像』『翔ぶが如く』『八代将軍吉宗』『平清盛』『軍師官兵衛』と、かなり最近まで頻繁に大河出演を実現していた。


 黒澤を愛する者なら知る人ぞ知る、究極の黒澤映画の夢たる『平家物語』は遂に実現しなかったものの、当然黒澤は1955年の溝口健二作品『新・平家物語』を強く意識していたであろうし、同じく吉川英治原作の大河ドラマ版『新・平家物語』において、仲代達矢が清盛に抜擢されたことは、内心気が気では無かったハズ、なのだ…。

 

 

 この溝口健二の『新・平家物語』は特に傑作という訳でもなく、ほとんど市川雷蔵を担ぎ上げたかっただけの溝口作品としては駄作の部類だったのだから、黒澤が意識するレベルでは無いハズなのだが…そこは巨匠といえども生身の人間、当時は黒澤の、反面的な創作意欲の原動力になったのだと思う。

 

 また逆に、大河としてかなりのクオリティの高さを示した大河版『新・平家物語』は、のちの黒澤の構想を多少なりとも刺激したに違いないのだ。

 

 『デルス・ウザーラ』以降は黒澤組以来のスタッフを多数失い、ある意味孤立を深めていた黒澤は、それからはかなり大河ドラマを参考にしていた様に見受けられる。

 無論大河だけではなく、大河以外の役者にも多数注目していたのも確実であろう。『影武者』に出演した萩原健一、大滝秀治、そして『天国と地獄』以来となる山崎努…らは、こういった経緯から抜擢されたモノと思われる。三船敏郎や加山雄三(『椿三十郎』『赤ひげ』)らを失った黒澤の腐心が、手に取る様にわかるというもの。

 

 …にしても、だ。

 

 『影武者』は『七人の侍』『用心棒』は勿論、『乱』と比しても随分と評価が低い。これには私は納得いってない。さらに言うと、前期黒澤作品を好む者の中で、後期黒澤を認めていない者は意外なまでに多い。

 

 『七人の侍』『用心棒』の頃の黒澤には橋本忍もいた、小国英雄もいた、早坂文雄も、早坂亡き後も佐藤勝がいた。宮川一夫もいた。無論、志村喬三船敏郎も、山田五十鈴も。

 

 黒澤組は、チームとして生きていたのである。

 

 しかし周知の通り、『赤ひげ』以降は東宝を解雇され、海外に制作支援を求めざるを得なかった。日本人だけを相手に映画製作をしていた頃とはもう違う。そして、かつての黒澤組はもう無い。

 

 前期黒澤が共同作業から成る卓越した脚本と、そして絶妙のカメラワークにて傑作群を生み出したことと、後期黒澤がある意味耽美的かつ抒情詩的作品を打ち出したことを、単純な比較にて語るべきではないのである。

 

 海外からの映画制作資金を頼みにするならば、日本人以外の眼を意識した作風を印象付けようと制作を志したのは不思議な話では無いし、ましてや黒澤も年を取る。そして体制は既に「黒澤組」ではなく、ほぼ完全なる「黒澤天皇」の独走態勢であった訳で。

 

 後期黒澤の作品には、黒澤自らが後世に残したかった表現が、実に素直に、そして忠実に表れている。それはいったい何故だったのか…我々は作品を通してもう少しだけ、その「何故」に想いを馳せても良いのではないかと思っている。

 

(続く)

追記:余計なウンチクをひとつ。

『直虎』第34回「隠し港の龍雲丸」の元ネタは、黒澤明の『隠し砦の三悪人』である。

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2017.08.27放送 NHK総合 20:00~ 

第34回 「隠し港の龍雲丸」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story34/    

「おんな城主 直虎」BD&DVD完全版第壱集8月18日発売

http://news.ponycanyon.co.jp/2017/04/19044