『ネガティブを愛する生き方
光と闇の法則』
著者:伊藤美海
発行所:総合法令出版
*以下『』は上記の本からの抜き出し。
『許しとは、許しがたいと憎んでいる相手を、掴みきれてもいない愛などに基づいて許すことではない。まずは、相手を許せないでいる自分を許すことこそが、許しの第一歩なのだ。』
私も決して許せないと思う憎い相手がいました。たんに腹が立って仕方がなくて怒って済むというレベルではありません。心の底から憎くて死ねばいいのにとさえ思っていました。大切なものが酷く傷付けられてそれを失った時に憎しみから逃れられませんでした。そこである本を読みましたけれど、大切なことは自分は相手より上の存在なのだと思い許してあげることだ、そう書かれていても少しも納得できませんでした。『許してあげる』だなんて、そのような傲慢にもなれませんでしたし、そのように言われてもやはりどうしても許すことができませんでした。私も人間なので。けれどもこの本は違いました。
『その第一歩をすっ飛ばして、相手を許すことにばかり意識を向けるから、人の精神は歪む。許せないと思うのなら、怒ればいい。憎めばいい。まずは感情を十分に味わい、表現し尽くし、そしてそれから自分自身や物事とじっくり向き合うのだ。』
長い間、私は我慢をすることに慣れて、怒ることも上手にできずに胸の内に怒りを溜めていき、最終的にはとうとう堪え切れずに不自然なところで怒りを大爆発させて、それが原因で人に嫌われてしまうことにありました。ですからそのことでも私は怒るだけでは済まずに憎しみを抱き恨みを持つに至りました。そして苦しくて仕方がなかったのです。どうにかして恨みを晴らしたいと復讐さえ考えてしまいました。そして同時にこの苦しみから逃れたいとも考えていました。どうしたら許せるのだろうかと。延々と人を恨み続けることは楽ではありません。ほとんどの人間がそれに耐えられないのです。ですので、犯罪が起きてしまいます。大抵人は逃げたくなるのです。
『人は自分を許すことが出来た時、自然と相手のことも許せるようになるものだ。人は、湧き上がってくる感情をそのまま表現することを抑圧すればするほど、本来の姿から遠ざかっていく。それは、スピリットの叡智から、神の意識から遠ざかっていくことを意味する。そして自分を、人生を見失う。』
掃除もできていない自分の部屋を綺麗な物だけで美しく飾ろうったってそうはいきませんよね? そのように、片付けもせずに他人に見えるところだけ良くしていても、どうにもならないのです。怒る時は怒る、それが人間の在り方です、表面上だけで自分は心が広いから許してあげるなどと許した気になってもいずれおかしなことになるのです。それまで我慢した分だけ噴火する時は大噴火するのです。ポジティブだけではなくネガティブもあっていいのです。