幸運の秘訣 「 忍耐の日々は自分を磨く機会と思い込む 」 | mituのブログ

幸運の秘訣 「 忍耐の日々は自分を磨く機会と思い込む 」

(7/25) 

おはようございます。 

1883年の今日、7月25日に 岩倉具視

の葬儀が日本初の国葬として、 行われてい

ます。 今日は、明治の始め使節団を率いて

1年 10か月に亘り欧米諸国を巡り、

各国元首 と面会して条約改正の糸口を

掴もうとした 岩倉具視 の一言

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 【今日の一言 2022年7月25日】

 「時日と忍耐とは扶桑をして絨毯に変ぜ

 しむ」((意訳)長い苦難の時間と忍耐

 は、 炭をダイヤモンドに変える) 

(岩倉具視 1825 - 1883年  公家、政治家)

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 尊王攘夷運動が高まる中、和宮降嫁に賛成

した岩倉は、尊王攘夷派の志士たちから 

佐幕派(徳川幕府を助けている)と思われ、 

辞官して出家、朝廷を去って、5年の間 貧し

い蟄居生活を送っています。 その後の日本

への大貢献は「時日と忍耐」 が磨いたもの

という実感があったのでしょう ね。 その

人物像は、伊藤博文によれば 「公は厳正に

してよく下情に通じておられた。 しかして

自ら奉ずるとは至って質素であって、 我輩

共は内閣より下がる節によく公の邸に 立ち

寄ったが、公はいつも給仕のものどもを 

斥け、二人対酌にて膳に向かい、一本づつ 

燗徳利を置いて話し合った。月に幾度と 

なくこういう風に会合して、議論もすれば 

雑話もして、中々面白かった」「公は中々

聡明英達の人であって、決断もあり、胆力 

もあり、かつ実に明弁であった。明弁にし 

てことの是非得失を観ることが明らかの人 

であった。…公は実に一世の豪傑であった」

 と評されています。 

使節団の旅で岩倉は、その先進性に激しい 

カルチャーショックを受けています。 

その発展の要因は、鉄道にあると考えた 

岩倉は、日本鉄道会社の設立に積極的に

携 わりました。 

 

「成敗は天なり、死生は命なり、失敗して  

死すとも豈(あに)後世に恥じんや  

(成功する失敗するは天命であり、  

 生きる死ぬは運命である。  

 事に挑んで失敗し死ぬことがあっても   

 後世に恥じることは何一つない)」 

(岩倉具視)

 「敷島の道こそわきて仰かるれ すなほ

なる世の教えとおもへは(日本の心の道は、 

素直に生きることである)」(岩倉具視)