幸運の秘訣 「 短くても命の瞬間を輝かせる 」
(6/28)
おはようございます。
1951の今日、6月28日に小説家
林芙美子 が亡くなっています。
今日は、林芙美子の一言+α。
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【今日の一言 2022年6月28日】
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりれど
風も吹くなり、雲も光るなり」
(林芙美子 1903 - 1951年 小説家)
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6月28日の出来事、生まれた人、亡く
なった人を調べていて、カナダの国民的
英雄であるテリー・フォックスが6月28
日に亡くなったとありました。
私にとっては、初めて聞く名前。
興味を感じて調べてみると、以下のような
伝記が出てきました。
テリー・フォックス (1958年7月28日
- 1981年6月28日)
1958年7月28日にカナダのマニトバ
州ウェニペグで生まれ、バンクーバー育ち。
バスケットボール部に所属して活躍してい
ましたが18歳の時、練習中に右ひざに痛
みが走り、検査の結果、骨のガンと言われ
る「骨肉腫」という病に侵されていること
が判明し右足の膝から下を切断。
希望を失いどん底にいた入院中に自分と同
じくガンに侵されながらも、真摯に病と向
き合っている人たちと出会います。
その中には幼い子どもたちもいました。
健気にガンと闘いながらも次々と亡くなっ
ていく子どもたち。
その時、彼は思いました。
「自分は生きている。生きているのなら、
彼らのためにきっと何かができるはず!」
彼はある挑戦をする決意をしました。
それは「カナダ横断マラソン」。
目的は自身の完走とガン研究資金の募金
集め。
総距離、8000km以上を7カ月以内
で走破するというチャレンジです。
計算では毎日フルマラソンの距離を走る
ことになります。
彼はこのチャレンジを
「Marathon of Hope (希望のマラソン)」
と名付けました。
右足切断から3年後の1980年4月
12日にスタート。
彼はこのマラソンで少なくとも100万
ドルの募金を集めたいと思っていました。
100万ドルとは当時のカナダに住んで
いる人々から1ドルを募金してもらって
達成できる額です。
「たった1ドルだけでいい」「みんなの
小さな小さな善意が大きなプロジェクト
を動かしていく」「それは他のガン患者に
勇気を与え、なによりそれは彼らを助ける
資金にもなる」
最初は誰も彼のことを知りませんでした。
しかし、次第にメディアにも取り上げられ、
徐々にカナダ中の人たちに知られるように
なりました。
そして、カナダ中の人々が一斉に彼を応援
し始めました。
「がんばれ、テリー!」
彼が走り抜ける町の人たちは彼を温かい声
援で迎えます。
スタートしてから4ヶ月、5372km
を走破し、軌道に乗ったかに思えた彼の
マラソンですが、1980年9月1日。
彼の肉体が悲鳴を上げます。
ガンが肺にまで転移していたのです。
彼はこれ以上走ることを断念。
彼にとってそれはとてつもなくつらい決断
でした。彼はそのまま入院。
目標額の100万ドルに達していなかった
ことを入院中、彼はずっと気にしていた
ようです。
しかし、彼のことが大々的に報道されて
から一気に募金が集まりました。
彼の偉大な勇気ある行動は、カナダの人々
の心を揺れ動かしたのです。
そして、募金された額は1000万ドル
以上!
このお金はほぼ全てガン研究のために使わ
れました。
そして、入院してから約1年後の1981
年6月28日。22歳という若さで彼は
この世を去りました。
もし自分がガン宣告を受けて、余命何年と
告知されたら、残りの人生をどう過ごすで
しょうか?
若干18歳で運命を受け入れ、残りの人生
を自分のためではなく、人のために捧げた
テリー・フォックス。
花の命は短くて苦しきことのみ多かりれど
散りゆきながらも芳風を起こせ、光輝け…
です。
「泣くだけ泣かなきゃいい人間になれません
よ」(林芙美子)
「自分の人生に絶望を持たないで生きてきた
人間は一人もない」(林芙美子)
