幸運の秘訣 「 身を捨てる覚悟で家族を守る 」 | mituのブログ

幸運の秘訣 「 身を捨てる覚悟で家族を守る 」

(9/18) 

1947年の今日、9月18日、 連合国軍最高司令官総司令部

 (GHQ:General Headquarters)が学校給食用に脱脂粉乳の 

放出を指令しました。 

今日は、極度な食糧難に落ちっていた日本を救った 

昭和天皇 の一言 

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 【今日の一言 2020年9月18日】 

「日本国天皇はこの私であります。

 戦争に関する一切の責任は私にあります。 

文武百官は、私の任命する所ですから、 彼等には責任は

ありません。 私の一身は、どうなろうと構わいません。 

あなた方にお委せします。

 しかしながら罪なき国民は、住むに家なく、 着るに衣なく、

食べるに食なき姿において、 まさに深憂に耐えんものが

あります。温かき閣下のご配慮をもちまして 国民たちの

衣食住の点のみに 御厚配承りますように 」

 (昭和天皇 1901 – 1989 マッカーサーGHQ 

         最高司令官との初会見における発言) 

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 1945年、終戦の年もくれる12月になると日本は極度な食料難 に陥っていました。 

昭和天皇は、鳩山一郎内閣の文相である松村謙三に、次のように 言われています。(「三代回顧録」松村 謙三著)

 「食料の悪化は、このまま推移すれば多数の餓死者をだすようになるというが、 戦争に塗炭の苦しみをした国民に、このうえさらに多数の餓死者をだすような ことはどうしても自分にはたえがたいことである」 

「政府ではアメリカにたいして食料の提供を要請しているが、アメリカは これに応諾を与えてくれぬそうであるけれども、考えてみると当方からは 食料の代償として提供すべき何物もないのだからいたしかたない」 

「それで、聞けば皇室の御物の中には、国際的価値のあるものが相当ある とのことである。よって帝国博物館の館長に命じて調査させ、その目録 を作成させたのがここにある」

 「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でも しのぐようにしたい。そのように取りはからうに」

マッカーサーに、昭和天皇の心持ちを伝え御物の目録を差し出すと、 すでに最初の訪問で「自分の身はどうなっても国民を助けてほしい」 という言葉に感動を覚えていたマッカーサーは、こう言いました。

 「天皇の考えられることは、まことによく分かるが、自分としても アメリカとしても、せっかくの懇請であるけれども、皇室の御物を 取りあげて、その代償に食糧を提供するなどのことは面目にかけても できない」

 「この目録は陛下にお返しされたい。しかし国民のことを思う天皇の 心持ちは十分に了解される。自分が現在の任務についている以上は、 断じて日本国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず 食糧を本国から移入する方法を講ずる。陛下に御安心なさるように 申し上げてもらいたい」 

その約束通り、GHQは6~7月にかけて20万トンの輸入食糧を 放出しました。

8~9月には、それぞれ20万トンの食糧が放出され ました。

これによって、日本国民は、大量餓死という最悪の危機を 乗り越えることができたのです。 

こうした事実は、昭和天皇から語られることはなく、マッカーサーなどが話したので多くの人が知るところとなったのです。 

昭和天皇の人徳というか人徳を超えた神聖な徳に心が洗われます。 

 

「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は 天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」(ダグラス・マッカーサー)

 「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。 もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」(ダグラス・マッカーサー)