幸運の秘訣 「 願うことに応じた努力をする 」  | mituのブログ

幸運の秘訣 「 願うことに応じた努力をする 」 

(2/15)

おはようございます。

今日も、江戸時代後期の農政家、二宮尊徳 の一言

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  【今日の一言 2018年2月15日】

「あなたは心得違いをしている。それは運が悪いのでもなし、

 神明の加護がないのでもない。

  ただ、あなたの願うことと、することが違うからいけないのだ」

  (二宮尊徳 農政家)

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二宮尊徳(金次郎:正しくは金治郎)は、1787(天明7)年に足柄 平野の栢山(かやま)村(小田原市栢山)で生まれました。

二宮家は祖父が働き者で比較的裕福な農家だったのですが、困っている人にお金を用立ててあげたり、天明の飢饉、酒匂川の洪水などで徐 に家計が傾いていきました。

栢山村では、酒匂川の洪水で田畑が泥水につかることを防ぐための堤防 工事に村人が総出であたっていました。

父が病弱だったため金次郎は わずか11歳で、工事に参加しています。

しかし、まだまだ体も小さく力も弱く一人前の働きができませんでした。

そこで金次郎は、鼻緒が切れた村人のわらじを持ち帰って修繕するなど、 自分なりに人に役立つ仕事を見つけて働いて喜ばれたとの逸話が残って います。

金次郎が14歳のときに、酒匂川の氾濫で二宮家はついに田畑を手放し、 さらに、病弱だった父が亡くなって生活は困窮します。

金次郎は暮らしをたてるために、山で薪をとって、町へ売りに行くことに しました。

薪を運びながらも、片時も本を手放さず、歩きながら勉強に励 みました。」孔子の教えを説いた「大学」(経典余師)や「論語」を繰り返し読んだと伝えられています。

極貧の暮らしの中、16歳で母が死去、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。

同じ状態になったら、われわれはどう思うでしょうか? 不運を嘆き、泣いて暮らし、自暴自棄になってしまう人も多いでしょう。

金次郎はおじ万兵衛の家に預けられますが、昔気質の農民であった万兵衛は「農民にとって勉学は無益なこと」と考えていて、夜勉強のために家の油を使っていることを咎められてしまいます。

金次郎は夜になるとむしろ織りに精を出すようにしました。

本を読むための油代を稼ぐために荒地に菜種を植え、たった一握りの菜種 から7~8升の取り入れができました。

また、年貢の対象外であった荒地を開墾して捨てられていた苗を植え、丹精こめて育てて、秋には一俵の籾を収穫しました。

金次郎は、朝暗いうちから夜遅くまで汗と泥にまみれて一生懸命働き、 荒地を開墾した田んぼで上げた収穫でお金を貯め、その一方で家人が寝た後、わずかな時間も無駄にせず勉強して、先人の教えを理解しようとしま した。

生家の近くに小屋を建てて生活しながら一生懸命努力して、質に入れていた 田畑を少しずつ買い戻し、24歳までに一家を再興しました。

こうした経験を通じて、自然の働きと努力の素晴らしさを知ると共に、小さなことの積み重ねが大きな成果につながる(積小為大)と学びこれが後の行いや考え方の基になりました。

 

「才能ではなく、勤勉という習慣を身につけよ」(サミュエル・スマイルズ)

「神に祈れ。だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな」(ロシアの格言)

「世間一般の人の願望は、もとより遂げられるものではない。というのは、 願っても叶わぬ事を願うからだ」(二宮尊徳)

「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。術策は役に立たな い」(二宮尊徳)