幸運の秘訣 「 誰か他人のために頑張る 」 | mituのブログ

幸運の秘訣 「 誰か他人のために頑張る 」

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おはようございます。

今日は、ほとんどの方はご存じないかもしれませんが、

現在、メジャーリーグ昇格に挑戦しているプロ野球投手

中後(ナカウシロ)悠平の一言。

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  【今日の一言 2017年1月27日】

「どんな厳しい場面で投げてても、その時にふと思うのは嫁さんと子供の

 ことなんです。千葉ロッテの時に考えていたのは、『ここで打たれたら上

 に上がれない』とか、『絶対ここで抑えてやろう』と か、同じミスしたら

 アカンとか、そういうネガティブなことばっかり。でも今は違う。何の為

 に頑張ってるか、何の為にここまで来て やってるか。…じゃあ、ここで

 何をするべきか…頑張ることなんです。…アカンかったらアカンかった

 で日本に帰ったらいい。帰って も別に…仕事いっぱいあるわという考え

 方ができるようになったん です。それによって楽になって、自分の思う

 ようなボールを放って、 そこから抑え続けられているのかなと思います」

 (中後悠平 ダイヤモンドバックス傘下の3Aリノ・エーセズ所属)

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ネガティブな考えに捉われて、不安にかられても、悪い結果を引き 寄せるだけです。少し肩の力を抜いて、今できること、今やるべき ことに集中すること、そして、誰か他人のために頑張ること、その ことから大きな力が生み出されてくるのです。

 

(以下『東洋経済』などより抜粋、一部編集)

中後悠平は、2011年にドラフト2位・契約金8000万円で千葉ロッテ に入団。変則フォームのサウスポーで、最速151キロのストレートに 加え大きく曲がるスライダーが武器。

“和製ランディ・ジョンソン” とメジャーのスーパースターになぞらえて期待された。

しかしデビューから4カ月後、肩の腱板を部分断裂。肩の故障は2年 目も尾を引き、ほとんどが2軍暮らし。

プロ3年目も1軍登板わずか 5試合で見切られ2軍に降格。そしてプロ最終年となった2015年は 1軍での出場がないまま、10月3日に戦力外通告された。 プロ入りから、わずか4年。26歳という若さで、クビを言い渡されたのだった。

結婚してわずか半年。第一子の出産予定日まで残り2カ月という時期に中後は職を失ってしまったのだ。

しかし、その後、人生が急転する。 1月、メジャーリーグ3球団のスカウトが中後の投球を実際に見たい と言う連絡をしてきたのだった。

4月に渡米。ダイヤモンドバックス傘下の延長キャンプに参加後、 ルーキーリーグからスタートし、7月には1Aの中でも実力が上位の 「ハイA」というランクのチームに着実に昇格をしていた。

そして 8月早々、球団はハイAから2Aをすっ飛ばして3Aリノ・エーセズ にジャンプアップさせる。 「ルーキーリーグからローエー、ハイエー、ダブルエーは飛んでトリ プルエー。『こんなうまいこといってええんかな』と。そこはちょっ と自信になりました」((中後悠平)

中後は3Aでも快投を続け、13試合連続無失点という完璧なピッチン グを演じた。

終わってみれば3Aでは1点すら与えることなく2016年 のシーズンを終えたのだった。

 

メジャーリーグで活躍する姿を見たいですね。

 

「基本的な練習法を変えたりしましたが、いちばんは考え方を変えま した。監督、コーチから『とにかく楽しんで投げろ』と言われて、そ う思うようにやってみたんです。そうしたら、ほんとにボールが安定 しはじめたんです」(中後悠平)

「大事なのは、壁にぶち当たったときにどういう受け取り方、考え方 をするか。日本にいるときの僕は、『肩が痛い』とか『使ってくれない から』とか、そうしたことを理由にしていました。そういうことが アメリカに来て変わり、ボールも変わっていったんだと思います」 (中後悠平)