今日の一言 「 いいことは俺の力? 悪いことは環境のせい? 」 | mituのブログ

今日の一言 「 いいことは俺の力? 悪いことは環境のせい? 」

 
(9/1)
おはようございます。
今日は、詩人・書家相田みつをの一言。
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 【今日の一言 2015年9月1日】
「いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび」
 (相田みつを 詩人・書家)
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  “いいことは自分の力、悪いことは他人のせい”にしてしまいがちな 我々ですが、いいことというのは他人の動きなしにはやってこないも のです。一方、悪いことも他人の動きなしにはやってこないものです が、やってきた悪いことを本当に悪いことにするのは自分の捉え方次 第です。悪いことも経験です。自分の磨き粉ですし、自分の器量を広 げるチャンスなのです。だから、悪いこと・困難にもありがとうござ いますです。感謝です。感謝の気持ちで悪いことに対処すれば、きっ といい結果につながるでしょう。
「もし、欠点を教えてもらう機会がなかったら、自分はどうなってい たかわからない。みんなから嫌われるだけでなく、やがて大きな過ち を犯しただろう」(黒田長政 大名)
「身の回りの環境で起こる出来事は、全部自然の法則どおりに発生し とる。だとしたら自分が望む結果を出すには、自分を変えるしかあら へん」(水野敬也 作家)
(以下、お時間のある時にどうぞ)
1923年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災。 神奈川県を中心に、東京、千葉など関東南部の広い範囲で震度6弱以上。中でも震源に近い神奈川県西部から三浦半島付近にかけては、震度7に相当する非常に激しい揺れに襲われました。揺れと火災などで、建物の被害は37万2000棟。犠牲者はおよそ10万5000人に上りました。関東大震災の余震と火災が続くなか、避難者で溢れる横浜公園において積極的に救護活動を行った女性がいました。女性の名前は「鈴木てい」(結婚で日高姓に変わって「日高帝」となった)。 19歳の日高帝さんは、横浜市の中心部・山下町の勤務先で、被災しました。 「地震は突然にすさまじい音で、まいりました。ものすごい揺れですから、とにかく立っても座ってもいられませんでした」。 日高さんが外に飛び出すと、周囲の建物の多くは倒壊していました。 「早く逃げろ」という声に体を動かされ、日高さんはがれきと化した建物を乗りこえて避難しました。 その間も強い余震に襲われ、歩くことすら困難だったといいます。 「起きては転び、転んでは起き。するとひざも何でも、もう本当に血だらけになって」。 日高さんはやっとの思いで市の中心部にある横浜公園にたどり着きました。 そこには、避難してきた人やけが人、力尽きて亡くなった人が集まっていました。 その後、公園の周りを含め、市街地のほとんどが火災に巻き込まれました。 「グランドホテルもオリエンタルホテルも、みんな焼けてしまって。それでその間に、親子が重なり合うようになって・・・私にはどうにもなりませんから」。 公園に避難したのは3万人。極限の状況の中、互いに支え合う動きが生まれ始めました。 地震のあと、日高さんは丸1日以上何も口にしていませんでした。 そのとき、若い男性が、持っていた水を譲ってくれたのです。 「瓶の底にお水を持っている青年がいらして。それを私、ここに1円ぐらい持っているから、それを分けて下さいと申し上げたら、その方が『お金はいいですよ』と言って、水を下さいまして。ほんのわずかですけれども、そのお水のおいしいこと。今でも本当に忘れられないくらい、ありがたいと思いました」 「外人の方は私に全部、薬とか包帯とか、そういうものをくださいました。それで、お巡りさんにもお願いして、傷の手当てをしました」 日高さんは横浜公園にとどまり救護活動に従事し続けました。 混乱状況のなかで献身的に働く日高さんの姿は周囲からも注目を集めます。震災当時の日高さんの活動は大正12年9月30日発行の『横浜貿易新報』臨時第18号に「天使降臨 公園で働いた鈴木テイ子さん」という見出しで「関内方面では公園が唯一の避難場所であったためドロ水につかったまゝ何万の人間があるは傷き或は病みつゝ生残の身に救ひの手を待ってゐたが五日頃に至るも却々救護班も来なかったがたった一人その中に一名のかよわい女性が六十八名の傷病者に甲斐甲斐しく薬を与へ包帯を巻きなどして懇切な応急手当をなし萬人に天使降臨の感あらしめた」と救護にあたる日高さんの姿を伝えています。神奈川県の作成した『大正十二年 震災功績調書』(神奈川県立公文書館所蔵)にもその名前が確認できます。 そんな日高さんが横浜公園から郷里の中郡成瀬村(現・伊勢原市)の実家へ徒歩で帰る途中の出来事。 「保土谷-戸塚で暗くなり近くに神社はないかとねぐらをさがしている時、農家の奥様から声をかけられ、どうぞ私共にお泊り下さいとのお言葉、そこのおうちでお風呂を頂いて、ワカメのような自分のきものをぬぐことができました。それから暖かい木綿の着物に取り替えて下さって、本当に感謝で、もう床の中に入って泣きました」 「朝の出発には御一家様にお禮のことばも声にならず、只深々と頭をさげるだけの挨拶でした」 日高さんは90年たった今も、当時出会った人たちを鮮明に覚えていると言います。 「おかげで、今、助かっております。今でも感謝しています」。 (NHK 「関東大震災から90年 109歳が語る関東大震災」などより)