今日の一言 「 神さまをスカウト 」 | mituのブログ

今日の一言 「 神さまをスカウト 」



(8/11)

おはようございます。

今日は、ケンタッキー・フライド・チキンの生みの親カーネル・サンダース

の一言。


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 【今日の一言 2014年8月11日】

「何をするにしろ、神様が味方をしてくれないようなやり方をして、うまくいく

はずがない。多くの人が、このことに気がついていないのは残念だ」

(カーネル・ハーランド・サンダース ケンタッキー・フライド・チキン創業者)

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逆に「神様が味方をしてくれるようなやり方・生き方」は何なのか? みな

さん考えたことがありますか?日本人は神様とともに暮らすことで、生活

を安定させてきた伝統があります。福の神とともに暮らすためには、福の

神が好きな、整理・整頓され、掃除が行き届いた環境にする必要があると

信じられてきました。環境の綺麗さ清潔さは大切ですが、それ以上に心の

綺麗さが大切にされてきたのだと思います。いわゆる、誠とか真心・良心に

従っているか? ということが神様が味方してくれるか、くれないかの重要な

ポイントになるのだと思います。「暗い」より「明るい」の方が神様好みの

ような気がします。「冷たい」より「温かい」の方が神様好みのような気が

します。「嫌い」より「好き」の方が神様好みのような気がします。「わがまま」

より「思いやり」の方が神様好みのような気がします。「見て見ぬふり」より

「親切」の方が神様好みのような気がします。「不平・不満」より「感謝」の

方が神様好みのような気がします。鎌倉時代から江戸、明治、大正、昭

和の戦前にかけて活動した近江商人の「三方良し」は有名ですが、通常

流布されている順番とは逆に「買い手良し、世間良し、売り手良し」で、買い

手良しが一番で、売り手良しが最後にする、この順番が大切なのです。

「儲かればいい」ではなく「お客さまに喜んでもらおう」「世の中の役に立と

う」というやり方・生き方を第一に追求することがポイントなんだと思います。


(以下、お時間のある時にどうぞ)

カーネルは、神様が味方してくれるやり方をしようという心構えで商売し、

多くの常連を獲得していましたが、1939年火災で、サンダースカフェと

モーテルが全焼という悲運に遭遇します。しかし、挫けることなく1941年

7月4日には、ケンタッキー州コービンにサンダースカフェを再びオープン

させます。Q・S・Cにこだわり、ハーブとスパイス(7つの島から集めた11

種類の秘伝のスパイスとハーブ)の調合や調理方法に改良を加え続け

ます。圧力釜にも出会い、最適な調理時間、圧力、純正植物油の量を

見つけ出すには、ずいぶん苦労したようですが、30分以上かかっていた

調理時間を7分間に短縮することに成功します。(現在でも、スパイス

の調合方法は、ケンタッキー・フライド・チキンの本部で厳重に管理され

るなど、カーネルの秘伝を見ることができるのは数人とのことです)。

50歳頃には「やわらかくて、味がしみわたっていて、油っこくなくて、まる

で口の中でとろけるようだ」と評判になり、交通量の多い国道25号沿いと

いう立地も活かして142席もある大きなレストランを繁盛させていました。

しかし、バイパスができて、売り上げが半減。そんなとき、以前シカゴの

コンベンションで出会ったピート・ハーマンと再会し、1952年ユタ州でフラ

ンチャイズ契約1号店が誕生します。「ケンタッキー・フライド・チキン」は、

ピート・ハーマンの命名です。コービンの町を素通りしてしまう国道75号

の計画が発表されます。 1956年、客足はぱたっと止まり、サンダース・

カフェはみるみる業績不振におちいります。「もしハイウェイが建設され

なかったら、おそらく私はケンタッキー・フライド・チキンを始めなっただ

ろう」(カーネル・サンダース)やがて、店を維持できなくなります。

カーネル65才。25年続けてきた店を手放し、負債を支払ったカーネルの

手元に金銭は残りませんでした。カーネルに残っていたのは、 フライド

チキンの調理法だけでした。65歳にして全てを失いましたが、フラン

チャイズ店を探す旅に出ました。「カーネルは、ケンタッキー・フライド・

チキンのおいしさとビジネスを多くの人と分かち合うことが、自分に課せ

られた使命と感じているようだった」(ピート・ハーマン、フランチャイジ―

1号)旅を始めて1年経った頃のこと、それはユタ州のピートの店で発生

したトラブルがきっかけでした。店員が訪問販売の口車に乗せられ本来

必要のない紙バーレルを大量購入してしまい処理できずにいました。

しかし、紙バーレルの中にフライドチキンとビスケットを詰め込みテイクアト

用として売り出してみると、飛ぶように売れました。持ち帰りの客だけでも

十分に利益が上がり、立派な店舗をかまえる必要もないことがわかった

のです。しかも、大行列がその宣伝効果をあげ、フランチャイズの問い

合わせが次々と舞い込むようになります。1年目にして7件のレストラン

オーナーとフランチャイズ契約を結ぶことができたのです。旅を始めて

から4年後の1960年には、アメリカで 200店舗、カナダにも6店舗出店し、

売り上げも10万ドルになります。そして、1963年には600店舗となり、

売り上げも30万ドルになり、イギリスにも出店します。カーネルは73歳

になっていました。 1964年74歳でジャック・マーシーとジョン・ブラウン・

ジュニアに売却しカーネルは第一線を退きますが、90歳で亡くなるまで

ケンタッキー・フライド・チキンの発展とベストの味の維持に尽力します。

「人を幸せにする事に引退はない。決して引退を考えずにできるだけ

働き続けろ」(カーネル・サンダース)

「なぜ引退しないのですかと聞かれたら、私はこう答える。『錆びつく

より、擦り切れる方がましだ』。じっとしていて錆びつくより、身を粉に

している方が好きなんだ」(カーネル・サンダース)