今日の一言 「 もうこりた? 」 | mituのブログ

今日の一言 「 もうこりた? 」



(5/14)

おはようございます。

今日も、作家・尼僧、瀬戸内寂聴の一言。

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 【今日の一言 2014年5月14日】

「『忘己利他』、(あなたは)あなた以外の誰かを幸せにするために、

 この世に生れてきたのよ」

 (瀬戸内寂聴 作家・尼僧)

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「忘己利他」は、「もうこ・りた」と読むそうです。

「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」(伝教大師最澄)、どうしても

自己中になりがちな私たちですが、その欲望に打ち勝ち、自分のことは

後にして、まず人に喜んでいただくことをする、そこに幸せがあるのだ

という言葉です。

我利我利では仏の境涯とは全く波長があわず亡者になり、「もう懲りた」に

なりますよということです。

この言葉を調べていてマザー・テレサが講演で話した実話を見つけました。

マザー・テレサが、いつものように、スラム街で貧民救済の活動をしていた

ときのことだそうです。ボランティアの一人が近くの家を指差して、「あそこの

ヒンズー教徒の家には8人の子供がいますが、父親が死んで母親一人で

働きながら面倒を見ています。でも、もう3日間も何も食べていません。

食べ物を買うお金が無いのです。」と伝えました。マザー・テレサは、自分の

家から鍋一杯のお米を持って来てその家を訪ねました。貧しい母親とお腹を

空かした8人の子供が家の中で寄り添っていました。マザー・テレサは

お米を差し出すと貧しい母親は涙を流し感謝してそのお米を受け取りました。

しかし、その直後、その母親は家にあった少し小さめの鍋に、渡したお米の

半分を持って家を出て行こうとするのです。「お米を持って何処に行くのです

か?」とマザー・テレサは尋ねました。

母親は「隣の家イスラム教徒の家には6人の子供がいますが、もう4日間も

何も食べていません。だから頂いたお米の半分を持っていってあげるのです」

とだけ答えて、大事そうにお米の入った鍋を抱えて喜んで隣の家に入っていき

ました。自分の子供たちの一食分にも足りないくらいのお米です。そんな

少ないお米でさえ、それを半分にして、隣りの子供たちも喜ぶだろうと分けて

やれる精神、極貧の中にありながら自分たちだけ助かればというのではなく、

自分たちを犠牲にして、そして宗教の違いなど気にせずお隣さんも助けようと

する精神、その崇高な精神にマザー・テレサも感動したとのことです。キリスト

教もヒンズー教もイスラム教も仏教も、宗教はみな、人が造ったものです。

神さまが造った違いではないはずです。この宇宙は一つです。だから宇宙を

創造した神さまは一人のはずです。その神さまから見れば、われわれは、

みんな子供です。人間も動物も、植物も鉱物も、八百万の自然神さまたちも

みんな可愛いのです。「山川草木皆成仏」。みんなに成長して欲しいのです。

全ての魂の思いの平均点が地球の未来を決めているのです。だから、どんな

ことがあろうと周りに「愛」で接する、言うなれば「絶対愛」に向かって、お互い

助け合い、励まし合って、思い遣りあって、成長し合うことが大切なのです。

みんな創造神から願いをかけられた仲間同志なのですから。

「自分を勘定・感情に入れずに」(宮沢賢治)