今日の一言 「 幸せはどこに? 」 | mituのブログ

今日の一言 「 幸せはどこに? 」



(4/14)

おはようございます。

今日は、諏訪中央病院名誉院長鎌田寳の一言。

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  【今日の一言 2014年4月14日】

「幸せは、もしかしたら、幸せをめざしているプロセスのなかにあるの

 かもしれない…苦しみや悲しみのなかにいる人たちだからこそ、

 幸福になれる可能性がある」

 (鎌田寳 医師 諏訪中央病院名誉院長)

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目標を達成したら幸福でしょうか?

 その時は満足感に満たされるでしょうが、次なる目標がないと、虚無感

に襲われるのかもしれませんね。

目標を目指して、汗まみれ泥まみれで涙を流しながらでも頑張れている

ことこそが、幸せなのだと思います。

「欲を追求して満たされたところに実は何もなかった、という失望感がある

ように思えて仕方がないんです」(川本信彦 ホンダの第4代社長)


(以下、鎌田寳著「雪とパイナップル」より)

1986年4月、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所で起きた

大規模な事故は、世界中の多くの人々に衝撃を与えた。

アンドレイ・マルシコフ君。

彼が生後6ヶ月の時、原発事故が起きた。

母親は、息子を乳母車に乗せて毎日新緑の公園を散歩していた。

死の灰が降っているなどとは知らずに。 10年後、アンドレイ君は急性

リンパ性白血病を発症。

通常の抗がん剤治療では効果のない難治性の白血病。

ゴメリ州立病院と日本からの医療チームが連携して、少年のいのちを

必死につなぎとめようとする厳しい闘いが始まった。

患者自身の血液や骨髄から、白血球を再生してくれる幹細胞を取り出

して戻すことにより白血球を増殖させる移植医療を行い、アンドレイ君の

病状は一旦かなり良くなった。

しかしやがて再発し、治療によって安定しても、また再発。

そして、抵抗力がなくなっていき、2000年7月、14歳で生涯を終えた。

鎌田医師はそれから2年後、リンゴの花が咲き乱れる5月、ふたたび

ベラルーシを訪れる。アンドレイの母親・エレーナを訪ねるために。

会って話がしたい、「悲しみがあれば、その悲しみを聞いてあげたい。

グチでも、うらみでもいい」と……。

だが、我が子を亡くした母親が鎌田医師に語ったのは、深い感謝の

言葉だった。そして彼女は、「日本から、移植療法の看護の指導をする

ために来た、ヤヨイさんという若い看護師さん」の思い出を語る。

骨髄の移植後、熱と口内炎で食事の取れないアンドレイ君に、日本から

来ていた看護師のヤヨイさんが「何なら、食べられる?」と何度も聞くと、

アンドレイ君は小さな声で答えました

「パイナップル」と。

寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを食べたのが忘れ

られない記憶になっていたのでしょうか。

ヤヨイさんは氷点下20度の厳冬2月に何日もかけて、パイナップルを

探し回りました。しかし、経済崩壊で貧しい雪と氷のベラルーシでは、

容易に見つけることができません。

日本の若い女性がベラルーシの子どものために、パイナップルを

探しているという噂が町に広まり、缶詰を持っている人から病院に

届けられました。

そして、アンドレイ君はパイナップルを食べられたことがきっかけとなり、

食事がとれるようになって、少しずつ元気になっていったのです。

エレーナさんは、その不思議な出来事を回想して、『あるはずのない、

パイナップルを探して雪の街を歩きまわってくれた彼女のことを

考えると、わたしは人間ってあったかいなって思いました。わたしは

アンドレイが病気になってから、なぜ、わたしたちだけが苦しむの

かって、人生をうらみました。生きている意味が見えなくなりました。

「パイナップルのかん詰をかん切りでヤヨイさんがあけたとき、

プシューッっと音がして、いろんなものが飛び出したように見えました。

真心や希望が見えたような気がしました。人間のことも、命のことも、

世界のことも、少し見えたような気がしました。本当にうれしかった。

でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、忘れていたものが

よみがえってきました。それは感謝する心でした。人間と人間との

関係はまだ壊れていない。わたしたち家族の内側に、新しい希望が

よみがえってきました』

鎌田医師は、近頃、世界は、許すこと、感謝すること、微笑み合うこと

を忘れてしまっていることにお母さんの言葉から気が付きました。

この言葉を聞いた鎌田先生は、こう言いました。『人間の命を支えて

いるものが何か、少し見えた。少なくとも、最先端の技術だけで人間の

命は支えられていないのだと思った。人間ってすごい。溢れる悲しみ

のなかで、人間は感謝することができる。人間は国境を越えて、民族

が違っていても、宗教が違っていても、文化が違っていても、歴史が

違っていても、理解しあえる』ベラルーシの病院は日本の医学レベル

と比べると30年くらい遅れているような気がする。経済が崩壊して、

電気が抑えられているため、病院中が暗かった。病棟の照明が

薄暗いだけでなく、「どうせ、助からない」と、命を投げ出してしまった

ような暗い雰囲気が漂っていた。でも最近、小児白血病棟はすこし

ずつ明るくなってきた。ぼくらの町の婦人たちが社会奉仕活動で、

小児病棟に、国語と算数の二人の先生を雇ってくれたのだ。病棟

でマンツーマンの勉強が始まった。この国には院内学級という制度

はなかった。「入院している子どもたちが、元気になれるって、初めて

本気で思うことができました。この白血病病棟で、勉強するっていう

ことは、いつか退院ができるっていうこと。その可能性があるから、

学校へもどったときに、授業に遅れないように準備をするということ。

退院が単なる夢でなく、現実的な希望になったのです」

うれしかったのだろう。白血病で入院している子どもの母親の目に

涙が溢れていた。希望を組織することが大切なんだと思った。希望は

あるものでなく、つくるものなのかもしれない。希望があれば絶望の

なかを人は生きていけると思った。「僕は未来を信じています」