今日の一言 「 本音と 」 | mituのブログ

今日の一言 「 本音と 」



(3/14) 

おはようございます。 

今日は、古本屋天牛新一郎のお金に関するユニークな一言。

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  【今日の一言 2014年3月14日】

「お金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも 死んだら

 持って行けまへん  あの人はええ人やった そないに人から

 言われるよう 生きているうちにバラまいて

 山ほど徳を積みなはれ 山ほど徳を積みなはれ

 そやけどそれは表向き

 ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ

 人にケチやと言われても お金があるから大事にし

 みんなベンチャラ言うてくれる

  内緒やけれどほんまだっせ 内緒やけれどほんまだっせ」

  (天牛新一郎 古本屋・天牛書店創業者)

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建前と本音というか、前半と後半の逆転が面白いでしょう。「金持ちが

天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい」(イエス・キリスト)と

言います。お金に執着してしまって、お金お金の人生になってしまっては、

幸福にはなれないと思います。かと言って貧乏・清貧が好いのかというと

本音では疑問符が付きますよね。

「清貧なんて気取っていられません。貧すりゃ鈍するです」(永六輔)

「人間はあぶないと思うと卑しくなる。危険を感じれば、自分のことしか

考えなくなる」(モリー・シュワルツ)ともいえますから、貧しくいながら、

清くいる、これも老人が針に糸を通すくらいは難しいのかも知れません。

かなり高いハードルです。貧しいといいながら、贅沢はできないけれど

衣食住に困らない平均的な生活ができるくらいの富はないと劣等感に

侵されてしまい、心清くいるのは厳しいのかもしれませんね。難しくとも

「清貧の家に育った子供は、裕福な家庭の子たちとくらべて、なにもの

にもかえることのできない尊い宝を与えられている」(アンドリュー・

カーネギー)とも言えます。「『清貧』とは、お金や時間がない、物がない、

人が足りないということではなく、十分にお金や物や人が使える立場に

あっても、あえて使わない。その精神(心の持ち方)を言うのではない

でしょうか」(浜尾実 教育評論家・皇室解説者)。

だから「児孫のために美田を買わず」(西郷隆盛)なのです。

できれば富を持っていながら執着しない、清富がいいですよね。生きて

いく上でお金は不可欠、だからお金は大切、お金に感謝。でも、心の方

がもっと大切という順番を間違えてはいけません。人生で本当に大切な

ものは、お金では買えないのですから。

「貨幣は私の力を現す」(サルバドール・ダリ)

「結局、自分のものだと思っていても、それらはいつかはかならず失う

ことなのです。けれども決して失わないものがあるのです。それは

いつも自分と一緒にいるもの 自分から離れずに一体のもの 自分の

人格、人徳です」(アルボムッレ・スマナサーラ)