今日の一言 「 誰にだって… 」 | mituのブログ

今日の一言 「 誰にだって… 」



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(11/29)

おはようございます。

今日は、書家・詩人相田みつをの一言。

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 【今日の一言 2013年11月29日】

「だれにだってあるんだよ ひとにはいえないくるしみが

だれにだってあるんだよ ひとにはいえないかなしみが

ただ だまっているだけなんだよ

いえばぐちになるから」

(相田みつを 書家・詩人)

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自分だけが不幸で、世界一の悲劇の主人公みたいに思うことも

あるでしょうが、誰にでも苦しいこと・悲しいことはあるもの

す。
誰にでも人に言えない苦しみや悩みがあるものです。素晴らしく
見える人でも、何かコンプレックスを持っているものです。

ただ、言わないだけなのです。自分を余計に傷つけることに

なるから。みんな同じなんです。強く生きましょう!
「世の中には、人に言えない苦しみや地獄を抱えた人が大勢い
ます。でも強くしっかり生きている、けなげな人もいるのです。
同じ人間です。貴方もできます。やらないだけです

(美輪明宏)

(以下、お時間のあるときにどうぞ)

釈迦の方便のお話。

「ひとりの貧しい女が、自分のたったひとりの子供を亡くした。

まだ生まれて間もない赤ん坊だった。この子を育てるために、

はおよそ考えられるありとあらゆる苦労を重ねたし、これ

からもそれに耐えられる覚悟が崩れはしないほどに大切な

愛しい子だった。
女は死んだ赤ん坊を抱きしめて、村から町へ、町から村へと

さまよい歩き誰か私の子を生き返らせてくれはしないか、その

ような力を持った者を教えてはくれないかと尋ねて廻る。
誰も女に首を振るばかりか、死んだ赤ん坊を離そうとはしない

分の卑しい女の相手すらしてくれない。
やがて女は、一縷の望みを抱いて釈迦のもとに辿り着き、

この子を生き返らせてくれるなら、自分はどんなことでもする、

どうかこの子を生き返らせて下さらないかと懇願する。
女も死んだ者が生き返らないことは充分にわかっていても、

哀しみがそのような理性すら失わせていたのだ。
釈迦は、よしわかった、その子を生き返らせてあげようと、

深い慈しみをたたえて言う。

ただし、条件がある。この町の家々を訪ねて、香辛料を

もらってくることだ。しかし、香辛料をもらうのは、一人も

身近な者が死んだことのない家だけに限られる。
夫や妻や恋人や、親や子や兄弟などが、たったひとりでも

死んだことのある家の香辛料は役に立たない、と。
女は釈迦の言葉を耳にするなり、赤ん坊の死体を抱いたまま、

へと急ぐ。釈迦が指定した香辛料は、どんな家にもある、

ごくありふれたものだったからだ。
女は朝から晩まで、家という家を訪ねて歩くが、一粒の香辛料

手にすることが出来ない。愛する者と、あるいは身近な者

との死別を経験しなかった人間など、ただのひとりも

いなかったからだった。
やがて、日が暮れてきた頃、女は知る。

愛する者との別離に悶え苦しむのは、自分ひとりではない。

生きとしいける者すべては、さまざまな別れから解き放たれる

ことはないのだ、と。
女は自分の赤ん坊を埋葬し、釈迦のもとに帰り、釈迦に帰依

した。
(宮本輝 「わかれの船」より)