今日の一言 「 暗中で何をするかが  」 | mituのブログ

今日の一言 「 暗中で何をするかが  」


(11/14)

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おはようございます。

今日は、日本ハム創業者、日本ハムファイターズ初代オーナー、

大社義規の一言。

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 【今日の一言 2013年11月14日】

「何をやってもうまくいかないときも必ずあります。そうした

局面で何をしたか、どう対応したかによって、その後の展開が

大きく変わります。じっと辛抱して持ちこたえていれば、

不思議と運は開けてくるものなんです」
(大社義規 日本ハム創業者)
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大社義規は、19歳だった1934年、大地主だった実家が没落

し、旧制高松高等商業学校、現在の香川大学の中退を余儀なく

されます。
叔父が経営していた養豚組合に一旦就職するのですが、独立心が

旺盛だったのでしょうか、1942年に「徳島食肉加工工場」を

徳島市で設立します。

戦災による工場焼失という不運にも遭いながらも、挫け

1963年、大社が48歳のときに、現在の社名である日本ハム

名乗っています。日本ハムになっても営業の現場からは、

「知名度がない」という悩みの声が聞こえ、順調とは言えません

でした。

営業部門は、宣伝のためにスポーツ界への参入を考えます。

様々な案が出てきました。

たとえば、ゴルフ選手を所属させる案、さらにはバレーボールの

実業団を創ろうというアイデアも出たといいます。大社義規は、
旧制高松中学の先輩だった三原修の助言を受けて、野球チームの

買収を決断します。

メインバンクはその動きを歓迎しなかったそうですが、大社の

意思は固く、1973年、日本ハムは日拓ホームフライヤーズ
を買収します。

日本ハムファイターズという球団を持ったことは、本社経営に

好影響を与えました。1973年7月決算では850億円(この

年ハム業界ナンバーワンだったプリマハムを抜き、業界トップ

座に躍り出ています)、だった売り上げが、翌74年に1091

円になりました。

大社についた名は、食肉業界の松下幸之助。

単なる宣伝手段ということではなく野球が大好きで、試合中は、

選手に失礼だと好きな酒を一滴も飲まなかったともいいます。

さらに、選手の名前と出身地まですべて覚え、ここの出身なら

こんな性格かなと想像するのが好きだったそうです。
「ツキが落ちても悲観するな」「やろうと思えば何でもできる」

「できると思えば必ずできる」(大社義規)
「99人があきれても、1人が笑うなら俺達の勝ちじゃねぇか」
(江頭2:50)