2009年8月13・14の一言 | mituのブログ

2009年8月13・14の一言

(8/14)
おはようございます。
昨晩は、多くの家で迎え火たいてました。お盆の情緒を感じます。
今日は、お盆に考える特集第三弾
お盆に何を願うか、祈るか?
両耳の聴力を失いなったピアニスト、フジコ・ヘミングの一言。

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今日の名言 【8月14日】
『神にただ、「ああしてください」「こうしてください」と願い事を
するだけではいけない。
自分のいまの状態から幸せを考えもしないで、もっといい状態を
得たいと欲望だけをぎらぎらさせている人が多い。
いつも「どうもありがとう」と、いま生かされていることへの感謝
の気持ちを持たないと』
(フジ子・へミング ピアニスト)
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お盆ということで、神をご先祖様と読み替えてもらえますか?
 皆さんは、ご先祖さまにお願い事することないですか?
 「家族が無事でありますように」、「家族が健康でありますように」、
「子供がぐれませんように」、「…お見守りください」くらいはお墓参りの
時や、仏壇に願ってしまうのではないでしょうか?
一方、今日存在できていること、生きていることへの感謝の念は伝えて
いますか?

1代、2代…とご先祖様を遡っていくと、10代先でも1000人を超え
ます。その1000人のうち一人でも子作り前に人生を投げ出していたら、
皆さんは存在できません。
DNAが違う人がいるかもしれませんが、今、皆さんが持っているDNA
の人は存在しないのです。
せめて、お盆くらい、そういう感謝の念をご先祖様に届けたいですね。

彼女は7月中旬頃のテレビでこんなことも言ってました。
「誰でも心の中に悪魔的なものがあるけれど、歳とともに消していかなければ
 いけない」
 魂のピアニストと呼ばれる彼女らしい言葉です。
「人間とは一日中に何百遍も菩薩となり悪魔となり、たえず変化している」
(吉川英治)
自分の心は一日のうちで、コロコロいろんな心に変わりますね。
これは、みなさんも実感されているでしょう。
悪魔的な心が現われてきたとき、いかんいかんと方向修正するように注意
してないと頑固じいさん、意地悪ばあさんに一直線ですよ。
人生、死ぬまで精進ですね。
  (一言 1-30)


(8/13)
おはようございます。
 お盆に考える特集第二弾
 山梨県の名所、身延山、久遠寺。
 287段の菩提梯を上がると、息が切れますね。
 久遠寺と言えば日蓮ということで

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今日の名言 【8月13日】
『蔵の宝より身の宝 身の宝より心の宝 第一なり
 心の宝積みたもうべし』
(日蓮)
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今日の一言から、一旦、話はずれますが 
お盆は、正しくは梵語で「ウランバーナ」といい、「倒懸」さかさまにつるされた
苦しみという 意味があります。
魂のことを忘れて肉体中心に生きたことへの後悔の念が自分を強烈に痛めつけると
いうことです。

「ウランバーナ」が「盂蘭盆(うらぼん)」と当て字され、お盆と短く表現される
ようになったのです。
「盂蘭盆」の由来は、「盂蘭盆経」に示されています。

お釈迦さまの十大弟子の一人で神足通 ( じんそくつう = 行きたいところに自由に行 ける能力 ) が一番とされている目蓮 ( もくれん・モッガラーナ ) が、ある時、神足 通 ( 神通力 ) により亡き母の居場所を探したところ、飢餓道に落ち、逆さ吊り ( ウラ ンバーナ ) にされ苦しんでいることを知ります。
生前の面影はなく、すっかりやせ衰えて骨と皮だけになって飢えに苦しんでいるのでした。
目蓮は神通力をもって、母に食べ物をささげましたが、口もとに運んだとたん火となって 燃え上がり食べることができません。
目蓮は嘆き悲しみ、お釈迦さまに母を救う教えを願ったところ
「お前のお母さんはお前にはやさしい、いいお母さんだった。  しかし、我が子可愛さの余りついつい知らず知らずの間に重ねた貪欲の報いで餓鬼の世界 に落ち苦しみ続けているのだ。 7月15日に90日間の雨季の修行を終えた僧たちが集まって反省会を行う。 その人たちにお前が様々なごちそうを振舞って供養すれば、その功徳(目蓮が多くの修行僧 たちに布施をする姿を母親が感じて)、きっと母を救う(感動により改心して波動が変わる) ことが出来るだろう」と 教示せられました。

目蓮は、このお釈迦さまの教えに従い実行してみると不思議にもその功徳によって餓鬼道 という苦しみの世界から救われたと「盂蘭盆経」に示されています。
「お母さんが餓鬼道から抜け出し昇天する姿を見て、目蓮は、回りの人共々うれしさのあまり に我を忘れておどり回って喜んだといい、それが今の盆おどりの始まりだといわれます。
目蓮のお母さんは、生きているうちに蔵の宝や身の宝ばかりに目が行って、心の宝、魂の宝 というより深い、永遠性があるかも知れないものに目が行ってなかったので餓鬼道に落ちて しまったということでしょう。
みなさんは大丈夫でしょうが、日々自分を監視してブレないように気をつけましょう!
 (一言 1-29)