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AVM7年生の気ままなブログ。

AVM(脳動静脈奇形)の発症から7年が経った一人の人間の気ままなブログ。Yahoo!ブログから移植されました。

こんばんは、お久しぶりです。
寒くなり、体調が一定せずまぁぼちぼちやっております。

さて、先週の金曜日でちょうど2年が経ちました。
何からとは、倒れてからです!(笑)
改めて、2年経った感想は、(早かったなぁ)という感じです。
それだけ色んな事に一生懸命だったのでしょうか。
でも、あの日の倒れてから病院に運ばれて、どのようなことをして、そして手術室に入るまで、朦朧としながらも鮮明に覚えています。
ちなみに、母親は「この2年必死過ぎてほとんど覚えてないわ~」と。(笑)

僕も2年が経てば、ひとまず落ち着くだろう(もちろん、体調管理等々これからもですが)と話があったので、色々なことも2年の区切りで忘れるのかな?と少し思っていたのですが、忘れるどころかでした。
ちなみに、去年の今頃は退院して半年も経過していない中で、自宅に慣れるので精いっぱいでボヤッとした感じでしか思い返していませんでした。
今年は高校と大学と違うと言えど、2年前に居てた、“学校”という場で迎えて、「あぁ2年前の今ぐらいはあんなんやったなぁ。」と、あの絶望の淵から想像もしなかった、学校に居る、生きてるやん、と実感し、これまでのことを色々思い返していました。

でも、自分自身本当に頑張ったと思います。
最近さぼり気味ですが・・・(笑)
聞いたこともない病気、なんでこんな歳で?そう思いましたし、あの時これから先どうしようか本当に不安でした。
頭の傷口が痛み止めが切れて、麻酔が薄れてきて、意識がはっきりとしてきた時の最高潮に痛いのは、絶対に何よりも痛いと思いますし、もうあんなにもしんどい辛い体験は二度としたくないですが(笑)これも、僕にしかできない、いい体験だったと今では思っています。

それも、ドクターをはじめとするたくさんの方々が周りで支えてサポートしてくださったからだと思います。
入院中、どんなに辛くてもリハビリのセラピストさんが相談に乗ってくれて乗り切ることができたり、どんなにしんどくてもドクターや看護師さんがただ処置するだけでなく、会話の中で色んなアドバイスをくれたりと、本当に本当にたくさんの方のおかげで2年を迎えることが出来たと思います。
正直、生きている心地がしない中から、ここまで救ってくださった何十、何百もの人や当時のことを思い出すだけで、ウルッと来ます笑
それ程、自分では大きな大きな財産になっています。

将来、そのように思ってもらえるような素敵な対人援助職に就けたらいいなぁ。
まぁまたぼちぼち書いていきますのでよろしくおねがいします!
ではでは!

PS・この2年、本当に色んなことがありましたが、このブログももうすぐ2年・・・(早い)まだまだ全然書き足りないので、精進していきまーす!(笑)

お久しぶりです。
夏休みが明け、大学がまた始まりました。
と、それ以前に1ヵ月半も更新がなかったのは何故かというと、体調を崩していた訳でもなく、何かあった訳でもございません。申し訳ないです←
8月に訪れた、東北・福島のことについて、書かせて頂きたいと思います。

とりあえず生きてましたということですが、まず、1ヵ月半ぐらい前に福島に行ったこと自体はお伝えしたと思いますが、すぐにそこで実際に見たり、現地の方にお話を聴いたりして、自分自身で感じたことをまとめようとは思いましたが、伝えたいことがたくさんある反面、どうやって伝えたら良いのかわからないくらい、想像をはるかに越えるくらい、思っていたものと大きく違っていて、頭の整理がつかないくらい混乱しました。
特に、沿岸沿いでは、津波の爪痕など、目に見えてのダメージを受けたまま、約4年半放置されたままで、山の方でも、除染の際に出たゴミ(フレコンバッグと呼ばれる黒い袋)が山積みにされていて、どう表したらいいのかわからないくらいもやもやというか、本当に同じ日本なのか錯覚するくらいでした。
それ程放射線の影響は大きく、目にも見えず、これほどまでに作業は遅れているとのことです。それに加え、更に子どもたちの通る通学路のど真ん中にフレコンバッグがドンと置かれていたり、蛍光色ののぼりに『除染作業中』と書かれ、風になびいていたり…。
今回訪れたのは、線量的には安全な場所でしたが、少し行くと線量がグンと上がったりしてしまい、日中の活動すらも怪しくなります。ホームページや道端の線量計を確かめるのが欠かせないという生活など、我々の日常生活では考えられない状況が起きていて、これからどのようなことが出来るかも考えさせられました。
ただ単に、復旧や復興を進めるのでなく、様々な形でサポートをしていくことが必要であるとも大きく考えさせられるいい機会になったし、本当に自分自身で見ることが出来て勉強になったと思います。

けれども、福島県の至る所には日本の原風景とも言える、美しい空や山などが残っている所もあり、決してこれらを無くしてはいけないなとも思いました。

遠く離れた我々が何が出来るか、少しでも考えていけたらと思います。
では。

PS.後期の授業が始まりました…。
まだまだ苦戦中ですが、また更新しつつ頑張りまーす


こんばんは、お久しぶりです。
なんと、実は今福島県の郡山に来ています。

何故かというと、大学の研修旅行で来ておりまして、ご存じの通り、4年半程前に起きた『東日本大震災』で大きな被害を受けました。更には、周辺では原発事故によって、大きな被害も受け、復興どころか復旧すら手付かずで、街が街で無くなっていっている状態だそうで、それらの体験を実際に肌で感じ、実際に見て感じて、今私たちに何ができるのか考えていくためだからです。

僕は、以前より東北地方に行って実際震災後どのような状況なのか行って確かめてみたかったのですが、なかなか自分ひとりでは難しく、倒れてからは更に無理だろうなと思っていたところ、今回の研修旅行が企画されていて、参加しました。
最初は、原発に近く、既にレントゲン・CTなどで放射線を浴びていて、どうだろう、とためらってはいましたが、今回しかないだろうと思ったし、線量の大丈夫なところを行くとのことで行く決意をしました。

また、どのようなものかは詳しく書きたいと思いますが、福島は京都や大阪、東京などのような街中とは違って雑踏がなく、静かに空が高く広がっています。昼間はもうすでに、秋の空のようにきれいに広がり、夜は星空が広がって少しひんやりするぐらい。
空気も澄んでてとても心地よく過ごしています。

しかし、今日体験も聞きましたが、僕も行くのをためらったとき、"福島=原発、放射能"というイメージが強くつきすぎて、(大丈夫かな…?)と正直思いました。でも、それは差別的なものに近いとわかりました。更にいえば、福島だけでないということ、福島全てが無くなった、消されたかのようになっていることも含めてとのことでした。
それには相当辛いこともあったとのことでした。
また、それも書きたいとは思います。

明日は、沿岸部の方(福島では浜通りと呼ばれるところ)に向かいます。
暑くなるようなので、身体にはくれぐれも気をつけます。
では!