2018年8月も最後の31日 金曜日
 
写真は1983年8月後半の千歳基地‥
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後方に写る全日空機のカラーリングが懐かしい‥(-。-)y-゜゜゜
 
この当時二十歳だった私は航空自衛隊の戦闘機の、武装関係の整備士でこの時”も、年数回あるF-4ファントム戦闘機の射爆撃訓練支援の為、茨城県の百里基地から北海道の千歳基地へ、先発隊として展開”しておりました。
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そんな1983年9月1日の未明・・・大韓機”の撃墜事件が起きました。
 
写真の機体は実際に撃墜”された大韓機・・
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※Wikipedia”よりお借りしました・・m(__)m。
 
この写真は⤵その頃に撮られた写真・・・縦社会で規律も厳しい世界”の自衛隊にあって、酒の席とは言え上官の肩に腕をまわしている私・・だいぶ酔っぱらっていると思いますが、この1年前の19歳の夏”からネオン街での酒吞みの遊びを覚え、今に至る私です‥(^^ゞ。
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そんな1983年8月31日の夜も千歳のネオン街”へと繰り出し・・・日付も変った9月1日の午前1時~2時頃宿舎へ戻り、バタンキュー・・(←古っ”)(^^ゞ。
 
4時頃だったか?非常呼集”で叩き起こされ、飛行場へよろよろ”と行ってみると、{民間機が行方不明?}だとか{墜落した}とか、{ソビエト(現ロシア)の戦闘機に強制着陸させられた}とかの情報が錯綜していましたが、程なく「ソビエトの戦闘機に民間機が撃墜された」との情報が入り、地元の千歳の連中”は戦闘機を格納庫から引っ張り出し、実弾を準備するとかで「すわ!・・・戦争か!?」などと、とても緊張した時間が流れました。
何せその当時はアメリカとソビエトの冷戦時代の真っただ中での事件・・9月4日には沖縄の嘉手納基地から当時のアメリカの主力戦闘機、F-15イーグルが青森県の三沢基地に展開し、極東のソビエト軍と対峙し一触即発の状態でした・・・当然ですが、一般の民間の人達にはこの現実の緊張状態”は、分からなかったでしょうね(-_-)zzz
その割には・・・チャラいね!~・・(>_<)。
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武装関係の整備(仕事)は格納庫での屋内の仕事もありますが、エプロン(駐機場)ではミサイルや機関砲の実弾が飛び出さないよう、戦闘機の各部に安全ピン”をさしてあり、そららの戦闘機が滑走路のエンド(端っこ)まで行った際、離陸直前に安全ピンを抜くような作業もあり、私の仕事は飛行場全体”に亘っていました。
※写真は千歳のR/W36エンドにて。
 
千歳のR/W18エンドに待機する、F-104J スターファイター・・・通称マルヨン”。
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1981年の夏、静岡県の浜松基地で私はのマルヨン”で、飛行機整備の基礎を学びました・・(-。-)y-゜゜゜
あれから35年・・・私もだいぶ白く・・ってか、薄く”なりました(^^ゞ。
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とある親戚の法事で・・・カミさんとのツーショット(^_-)-☆