新緑の秋月ー臼井六郎の遺跡を訪ねる。

名物の葛きりを食べ、日本最後の仇討ちの臼井六郎屋敷跡に立つ。


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杉の馬場の黒門茶屋。ここで昼食。平日だったので、ゆっくりと食べることができました。

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川茸定食。名物の葛きり付き。市営駐車場の係りの人のお勧め。

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臼井六郎邸宅跡の案内板。ここで、臼井亘理夫妻は、秋月千城隊の襲撃をうけました。
六郎と祖父は別室にいたため、奇跡的に助かる。

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今年の2月下旬に放送されたドラマ「遺恨あり・日本最後の仇討ち」の主人公は、元秋月藩士の臼井六郎(うすいろくろう)。その舞台の一つである、秋月の臼井六郎邸跡を訪れた。秋月で有名な観光施設には、ドラマの大きなポスターが貼られていた。歴史上の舞台は秋月であるが、ドラマのロケはそこでなかったという。

 仇討ちといえば、江戸・元禄時代の”忠臣蔵”が有名だが、こちらは明治の新時代になり、仇討ち禁止令が出て、その数年後の仇討ちだったので、世の注目を引き、新政府を驚かせた。臼井六郎は、13年間、
怨敵を追い続けていたのである。

 幕末の秋月は、小藩にかかわらず、政局がゆれにゆれた。保守派と革新派が対立し、その挙句、仇討ちの発端となる襲撃事件は起きた。
 当時の政治の中心地ー京都から帰ってきた六郎の父・臼井亘理(わたり)は、親戚の者と宴をやり、深酒のせいか熟睡した深夜、保守派の秋月千城隊(青年藩士)の襲撃をうけた。そのとき、亘理とその妻、六郎の妹・つゆが襲撃され、父と母が即死し、妹つゆは負傷した。六郎と祖父は別室にいたので、難を
逃れた。

 簡単に述べるとそんな事件だが、当の臼井六郎にとっては、それは深刻な事件で、一生のトラウマになった。身内の者は、「仇討ちは考えるな」というが、六郎はその惨劇のシーンを忘れることができなかった。そして仇討ちの相手は、秋月を去り、東京に出て、名前を変え、新政府の要職についていた。
仇敵は、一瀬直久。裁判所の判事。

 仇討ちの場所は、旧秋月藩邸江戸屋敷内。現在の銀座7丁目付近。
 一瀬はここへ時折、囲碁を指しに来ていた。そのことを六郎に親しい者が聞き込み、六郎に教えた。
待ちに待って、明治13年(1880)12月17日、一瀬が囲碁を指しに来たこの日、臼井六郎は「親のかたき」と叫び、短刀を握りしめ、本懐を成し遂げた。要した歳月は13年間だった。

 六郎の刑は終身刑だったが、しばらくして模範囚のため恩赦が付き、刑期を早めに終え、社会に戻った。世間の人々は彼の社会復帰を喜び、各地で盛大な慰労会が催された。
 晩年は佐賀県鳥栖市の駅前で仕出し屋を生業としていたようである。
 死後、そのお骨はふるさとの秋月の地に戻り、名刹・古心寺に葬られている。


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 ドラマの原作は、吉村昭著「敵討ち」である。彼は有名な歴史作家で、どれもこれもが熱心な取材に
基づいている。「戦艦武蔵」は代表作の一つ。私が最近図書館から借りた本の一つに「明治三陸大津波」があり、これも彼の手による作品だ。東日本大震災以降、再び売れているらしい。作者の遺族は、すべて
印税は東日本各地の復興に役立ててほしいと言われ、全額寄贈の予定。
 この本は、電力会社に勤める人は必読書ではなかろうか。これほど、きちんと取材され、津波の悲劇を
書かれている本はないだろう。津波の恐ろしさを知った上で、原発の運営、管理に勤しんでほしいものである。

 この事件を具体的に知ったのは、2年前のことだった。私が参加している同人誌「ほりわり23号」に、
仲間の鬼童忠恕(おにどうただはる)さんが「最後の仇討」を発表され、このとき興味を抱いた。
 それからずっと興味を維持していたら、今年2月、テレビ朝日系列でドラマ「遺恨ありー日本最後の
仇討」として放送された。この偶然性に心ならずも驚きを隠せず、臼井六郎関係に火が着き、舞台の秋月を探訪したいと欲求が募っていた。

 2011年5月23日(月)、念願の秋月を訪れ、臼井六郎ゆかりの地を回った。
 新緑の秋月は心地よく、吹き来る風も訪問者にやさしかった。春や秋の観光シーズンではないので、
ゆっくりと散策できた。歩くたびに散策路脇の水の流れる音にしばし耳を傾け、聞き入った。

 この音は聞き覚えがある……。
 う~む。……あっ、そうだ!
 越中八尾で聞いた水の流れる音。あのとき聞いた音に似ている。
「風の盆」で有名な越中八尾は、坂の町でもあり、また水の音が流れる町でもある。
 
 たかが”水の音”だが、聞く人には癒しの音に聞こえ、それは現代の人工音では味わえない素晴らしさが潜んでいる。自然が作り出す薬音である。
 越中八尾は遠い。しかし、筑前秋月は同じ筑後地区にある。秋月には何度も行っているが、これほど
”水の音”に敏感に反応したのは、今回が初めてである。
 桜の頃は桜に酔い、紅葉の頃は紅葉に惑い、好きな女と来たときは女の魅力に蕩(とろ)け、その繊細な”水の音”は耳に入らないのである。それを聞くときは、邪心は禁物である。

 臼井六郎のその後の人生に興味があります。60数年間生きたという。
心に何を秘めて、生き続けたのでしょうか。何よりも世間の目に打ち勝たねばならない。
 戊辰戦争で、会津若松の西郷頼母(さいごうたのも)は、一族20数人みな自決したが、彼は明治に
入っても生き続けなければならなかった。
 臼井六郎も西郷頼母も、恩讐を越え、じっと耐えて生きつづけてのだろうか。
 その彼らの心の葛藤が、私の心を、魂を離さない。

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ドラマ「遺恨ありー日本最後の仇討」のポスター。秋月郷土館前に貼られていました。
六郎役は藤原竜彦。一瀬直久役は小沢征悦。

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臼井六郎邸宅跡。平成の現在、田んぼになっています。
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」松尾芭蕉。ほんとに夢のあと。
パロディーの俳句でも一つ。「田んぼや 兵(つわもの)どもが 夢のあと」。
歴史的事実はこの田んぼと、秋月の流れる風だけが知っている……。

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秋月の散策路脇を流れる水。この流れるとき、発生する水音がすばらしい。
越中八尾の水音に似ている。
作家・高橋治は、小説「風の盆恋歌」で、越中八尾の水音を重要なモチーフにしている。
その水音を通して大人の恋愛を、叶わぬ愛を描いている。
素朴な水音。これが秋月の財産の一つだろう。


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水の流れ。街中を止むことなく流れ続けている。古処山からの贈り物。
考えれば、これは天然の冷房装置でもある。秋月は節電の最先端をいっている。

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秋月郷土館内の展示品。旧秋月藩江戸屋敷の写真。たぶんここで臼井六郎は仇討ちを実行し、本懐を遂げたのだろう。そして、そのまま自ら警察に出頭する。
現在の銀座7丁目付近。

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武家屋敷・久野邸。今回初めて入りました。広い屋敷で、離れ座敷もありました。
鳥栖の久光製薬所有。現久光製薬社長・中冨博隆氏の母親の里。
藁葺きの、本格的な武家屋敷です。入館料300円。
ゆっくりお茶でも飲みたいものです。

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武家屋敷・久野邸。

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武家屋敷・久野邸。二階より写す。

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このガラスの模様が懐かしく、見入りました。

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この丸型もいいアクセントになっています。

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こんなシーンに出くわしました。説明は要りませんね。
「白熱灯が照らす恋」か。昭和の名監督・小津安二郎の世界です。

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白熱灯がまぶしい。

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武家屋敷・久野邸前にありました。中島衝平邸宅跡。彼は別命、「中島操存斎」として有名です。
陽明学者。臼井亘理の学問の師。萩でいえば、吉田松陰に当たるのかな?
彼も臼井亘理同様に、秋月千城隊の衝撃に遭い、斬殺されました。それほど、影響力のある人物だったことが伺えます。

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旧田代邸。ここも武家屋敷。復元されていました。
秋月には、かなり良質な武家屋敷が残っていて、保存され、観光資源の一つになっています。
この辺が柳川とは違うなぁ。


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旧田代邸。外景。
ここにも柿の木が何本もありました。久野邸は10本ほど柿の木がありました。秋月は柿の木が多くあります。萩には、夏みかんが多くありました。城下町でも、ところによれば、植えてある木々が違います。
しかし、どこも食料を兼ねています。
これは、自然災害の多い現在、我々も見習うべき点ではないでしょうか。
まずは、なによりも生命の維持が大切です。

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