つい先ほど、『20世紀少年』が全巻詰まった紙袋を
両手にぶら下げた同僚(すごい美女)と戦争の物語について話をしていた。
表参道の交差点で、美女が両手に漫画入り紙袋って
何だかとってもキュートでシュール・・・ぷぷぷ
さてさて、
思い返すと私がこれまでに読んだ本の中には、
嬉しく心躍るだけでなく
ぐうっと息ができなくなるくらい悲しい物語や
がびっと眼球が乾くくらい恐ろしい物語がたくさんあったなあ、と思ふ。
ぐいぐいっと引き込まれる物語は、
文章を読んでいくと言うよりも映像を見ている感覚。
で、そんな恐ろしい脳内映像には耐えられるのに、
テレビや映画の殺戮シーンがフィクションと分かっていても耐えられないのはなぜ、
という個人的な感覚についての疑問が心にひっかかっている状態。
仮説1としては、
脳裏に描かれる映像は、経験によって描き出されるので
許容量を超える映像が描かれることはない。
仮説2としては、
映像が持つ情報は文字情報の数千倍と言うので
言葉から描く脳内映像の情報量を
現実の映像のそれは遙かに上回り、よってショックも大きい。
うーーん。
音との掛け合わせとかもあるのかなあ。
と、ここまででいったん考えを保留。
それはそうとして。
物語を読むという行為を通しての
どこかの誰かの人生の疑似体験は、
何らかの形で自分の体の中に降り積もっているのは確か。
うん。
うまく言えないけれど、いつかどこかで役に立つ気がするし
そしてこれもうまく言えないけれど、今も生きる力になっている。
物語からパワーをもらって生きてる私としては
いろいろな組織や社会の文脈の中で
物語の持つ力が語られるのは嬉しいかぎり。
右脳と物語に乾杯~




