仕事終わったら突然のメール。



昨日、大学の友達が事故で亡くなったそうです。



実感がわきません。



いや、なんだろう。事実は事実で受け止めてると思うんだけど、



どこか信じていない私がいます。



あれ?



人がいなくなるのってこんなあっさりしたもんなのか?



文字で知らされて、お通夜がいつどこどこで・・・って連絡で



どこか他人事でしかうけとめていない。



友達をなくすのはこれで2回目なんだけど



最初もそうだった。連絡が来たときは



他人事でしかうけとめていなくて、実感できなかった。



だって、聞いただけやもん。



その時点では私の中ではただの文字。情報でしかなかった。



いやいや。つい最近まで会ってたんだよ。



昨日なくなった子については、ほんとつい最近飲み会で



同じ会社に就職した子に



「あの子元気ー??」



「うん。元気だよーー。」



って、会話したばっかりだし。



ほんといたんだもん。そこに。会ってはないけどいたんだもん。





つい最近。1週間も経ってない。




「なくなりました。」って情報が来たからって、本当にいないの?




ってか、本当だったとしても、こんな「すっ」とその子の存在がなくなってしまうもんなのか?




なんだこれ。




私にはないものばかりを持っている彼女をすごいと思ってた。




これで終わり?何も準備してなかったよ?




私たちはこの瞬間に向かって生きているの?




強制的に幕をおろされて、振り返ったら誰も見えなかった。




お客さんも、その拍手も歓声も何もない。




幕が下りる。その瞬間のタイミングを自分は選べない。




見えない力にすごくさりげなく幕をおろされて終わり??




8月18日は甥っ子がこの世界に生まれてきました。




おなかの中ですくすく成長して大きかった上に




予定日より1週間近く遅れて、お母さんを困らせました。




顔はほんとおさるさんみたいで。




実家に帰るのに新幹線で片道2時間強。




来月の連休で帰るからまだ実際会って触れてないけど




もうかわいくて愛おしいです。




生まれるときはみんな心配して、母子ともに無事に出産を終えたときは




みんなホッとして、喜びました。




私の身近で生と死が同時に起こった。



どういう状況なんだろう。これは。





生と死。二つは同時に存在する。






誰にだってこの2つはコントロールできるもんじゃない。




だから、それらの瞬間がいつなのかなんてわからない。





でも、確実に訪れる出来事。




だけど、それを忘れたように、知らなかったように私たちは生きてる。




最後の瞬間の時、後悔する時間なんてない。




おろされた本人だけじゃないよ。




残された者たちにとっても、後悔する時間は同じようにないのです。





「あ」って気付いたら幕が下ろされているんだから。




幕で隔てられてしまったんだから。




明日は私が舞台にいて幕を下ろされる立場かもしれない。




客席にいて幕を下ろされる立場かもしれない。




その両方の立場に




いつだってなる可能性だらけの世界に今生きている。




どっちの立場になったとしても、




その幕引きを納得して受け入れる事が出来るような生き方をしているんだろうか?




私は絶対してない。





やりたい事があるんだったらチャレンジする



会いたい人がいるんだったら会う



言いたいことが、伝えたいことがあるんだったら、言うし伝える



見たいものがあるんだったら見る



撮りたいものがあるんだったら撮る



聴きたいものがあるんだったら聴く



歌いたい歌があるんだったら歌う



そんな簡単な事をすごくさぼってるよ。私。




いい方向で自分の欲に素直に向き合える私でありたい。



そうやって過ごしていきたい。



甥っ子もそう過ごしてくれたらいいな。



パパ、ママの元で、自分の生をめいっぱい生きてほしいな。




その子のお通夜には行けないのが残念です。



その子の存在がなくなってしまった事を



時間がたてば実感できるようになる自信はありません。



無理に実感する必要もないのかもしれません。

お通夜のその日、地元のほうに向かって祈りを捧げます。



それでも実感がわく気はしないけど、それでいいんだと思う。



その子のことを忘れないでいられる。忘れません。一緒に生きたことを。