邪馬台国 41
大和の纏向遺跡(まきむくいせき)、現在の桜井市では、北九州から南関東に至る全国各地の土器が出土している。纏向遺跡の近くにある箸墓古墳が卑弥呼の墳墓ではないかという説もある。
邪馬台国 42
吉野ヶ里遺跡は佐賀県にあり、わが国最大の遺跡である。この遺跡の遺構や遺物から、弥生時代600年間の変遷を知ることが出来る。
邪馬台国 43
吉野ヶ里遺跡は弥生時代後期(紀元1~3世紀)には国内最大級の環壕集落(かんごうしゅうらく)へと発展した。
邪馬台国 44
大規模なV字形の外環壕に囲まれ、特別な空間である二つの内郭(北内郭と南内郭)があり、北内郭では大型の建物が登場している。また高層な物見やぐらもある。
邪馬台国 45
食料を貯蔵しておくための倉庫も備わっており、卑弥呼が住んでいたかもしれない巨大な宮室もある。物見やぐらや城柵からは外敵の脅威を感じさせる。
邪馬台国 46
纏向遺跡は奈良県桜井市にあり、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡である。
邪馬台国 47
纏向遺跡では続々と新しい発見がなされていて、最古の木製面も出土した。これは祭祀に使われた可能性が高い。
邪馬台国 48
纏向遺跡は、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳を持つ。邪馬台国候補最右翼の遺跡である。
邪馬台国 49
纏向遺跡が最も繁栄したのは3世紀末~古墳時代で卑弥呼の時代(西暦240年頃)よりも少し後の時代である。
邪馬台国 50
邪馬台国九州説では、九州の邪馬台国が東へ移動して、大和の王を征服し、ほぼ西日本をまとめる王権を作ったと説く。