ビロードの千の夜 53 | ミッソー中佐

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邪馬台国 31
邪馬台国九州説の根拠は、北九州は3世紀において先進地域であると言うものである。

邪馬台国 32
魏志倭人伝には【租賦を収むに邸閣あり】【宮室、楼観、城柵、厳かに設け、常に人あり】とある。

邪馬台国 33
要約すると、【租税を収める倉庫がある】【王の住居、物見やぐら、城柵をおごそかに設置して、常に見張りの番人がいる】となる。

邪馬台国 34
【倉庫】【宮室】【物見やぐら】【柵】の四つが発見されているのは、佐賀県の【吉野ヶ里遺跡】である。

邪馬台国 35
また弓矢について【竹箭(ちくせん)あるいは鉄鏃(てつぞく)、或いは骨鏃(こつぞく)なり】とある。竹の矢、鉄のやじり、骨のやじりを使っていたことがわかる。


邪馬台国 36
邪馬台国東遷説は九州で成立した邪馬台国が東へ移動して大和地方へ至ったと説く。この説は白鳥庫吉、和辻哲郎らが主張した。

邪馬台国 37
邪馬台国畿内説では、琵琶湖湖畔、京都府、大阪府などの説や奈良県桜井市三輪山近くの纏向遺跡(まきむく遺跡)が都だと言う説もある。

邪馬台国 38
畿内説の根拠は言語的一致がある。邪馬台国を古代では邪(や)馬(ま)台(と)と発音していて、それがそのまま大和(やまと)となったという。

邪馬台国 39
畿内地方で多く出土する【三角縁神獣鏡】(さんかくぶちしんじゅうきょう)が、金印と共に魏の皇帝から卑弥呼が拝領した銅鏡100枚に相当するという説もある。

邪馬台国 40
邪馬台国畿内説の最大の根拠は、大和の箸墓古墳(はしはかこふん)などに代表される巨大な前方後円墳群である。