2006年もう半年が過ぎた。


最近、つくづく思うのは月日が経つのは異様に早いということ。


まだ20代でそんなことを言っていると、先達達に怒られてしまう。


うまくいかないのが人生。


人生は全て想定の範囲外。


そこから、、、


また、始めるしかない。


絶望から始めるしかない。

先日、新宿の某居酒屋で学部時代のゼミ仲間と久々に飲みました。

その仲間の一人が、自分の婚約者を連れてきたりなんかして、

楽しく沢山語らいました。


僕以外、皆、就職して今は精一杯働いています。


でも驚いたことに、半数が転職をしていて、

新卒後三年間の離職率は3割に上ると言われている昨今の

若年就業状況が、こんなに身近なものだとは正直思っても

いませんでした。

学部時代、かなりポテンシャルが高そうなメンバーばかりだったという

こともあり、半ば複雑な気分でした。


丁度、僕達が就職活動をしていた2003年は、バブル崩壊によって

浮き彫りになった「雇用の過剰」を整理し採用を抑制した影響を

もろに受けた年でした。

例えば、今年、新聞でも取り上げていますが、金融機関の採用者数は

僕達が就職活動をしていた年と比べて3倍~4倍は多いです。

それだけに、売り手市場であると言われていますが、2003年は

明らかに買い手市場でした。

このようなことから、「どこでもいいから内定をもらう」ということが、

就職活動(シューカツ)の至上命題になってしまい、自己分析も

しっかりしなかったという結果が身近な人間の転職風景になった

と僕は思いました。


僕は幸いにして、当時、大手・中小企業数社から内定を得ることができました。


それを僕は蹴って進学したわけです。


僕の友人、そして当時付き合っていた彼女は、


「なんで???どうして??」


と、しきりに僕に問い詰めていました。


仲間の状況と自分の状況を改めて比較してもしょうがないのですが、

どっちが自分にとって正しかったかということなんてわかりませんね。


ただ言えることは、


利害関係のない友人と酒を酌み交わし、広範囲にわたり

議論をするというのはこの上なく楽しい時間であるということです。


次回飲む時までに、成長できるように

「終わりなき日常」を生きるしかないですね。




先週末、故郷に帰った際、今年シャカイジンになった後輩達と

Goodnight and Goodruckを観賞してきました。

僕は現在、東京に暮らしているわけですが、この映画は六本木ヒルズの

シネコンから封切られました。

なので、ド田舎じゃみれねぇだろうと思っていたら、14日から公開との情報を

新聞の映画案内で発見。

早速、後輩達を嗾けて行ったわけです。


さて、内容。


久々に「う~ん・・・」と唸ってしまった。


三人とも同じ反応で、少々、困惑してしまった。


映画後の批評談義は終始「???」が語尾につきました。


表層的には巨大な政治権力に対峙する主人公エド・マローとそのマローがアンカーを

務める「シー・イット・ナウ」の番組構成メンバーの人間ドラマで終わちゃったという

印象を受けました。


マッカーシイズム(赤狩り)というものが、当時、愛国心と自由の名の下に

「どの程度」言論の自由が脅かされていたのかという面について、

この作品では語られてはいなかったのでその点が不満に感じました。


そもそも、「ミュンヘン」、「ホテル・ルワンダ」、そしてこの作品にしても

一般的に日本人が苦手としている(過去・現在の)世界情勢・歴史認識について

まったく無勉強で観てしまうと表層的な印象しか受けないと思います。


「権力に立ち向かったマローはすげえよな」

「JAZZと白黒ムービーでなんかおしゃれだよねー」


と、まあこんな感じになっちゃうんですね。


テーマの割には人間ドラマを繰り広げるという図式は、

監督であるジョージクルーニーのオナニー映画という印象さえ受けます。


まあ、ネット情報によれば、クルーニーは「オーシャンズ13」の撮影に入っている

らしいですし、片手間で製作した映画ということなんでしょうか?

上映時間が90分という短さも物語っているように思えます。


観た方はどのように感じましたでしょうか?




先週中頃から今週頭まで、実家に帰省していました。


今回の帰郷はとても意味あるものになったと思います。


一人しかいない母親とゆっくり話せましたし、特に進路(就職)の

ことを話しました。


私の母親はとやかくうるさいことは言わず、強いて言えば僕に対して、「覚悟」・「決断」

の理由を問い詰めてきます。


よーーーく、考えた?


と、いうことなのでしょう。


新幹線の車窓からの風景を見ながら、早く進路を決めて親孝行したいと

つくづく思いました。


それには、勉強・勉強しかない。


閑話休題。


帰省中、このブログでもたびたび登場している、社会事象リサーチャーと

久々に会いました。

彼はこの春から就職をして、シャカイジンたる生活に四苦八苦しているみたいです。


ストレスとどのようにうまく付き合っていくかが大事だと思います。


彼と別れる時、彼は


「やっぱり、日々勉強だな」


と言っていて、


僕は、


「そうやな」


お互い、頑張ろう。



タイトルにもある通り、僕の住まいには風呂がついていません。

風呂がついていないので、近くにある某フィットネスクラブを

銭湯代わりに使っています。


使って2週間位経ちますが、いろいろと発見できました。


大きな発見は、フィットネスクラブが今や都市型生活によって失われつつある、

ある種のコミュニティ形成の場として活用されていることです。


フィットネスクラブに通う人々は皆、多様な目的を持って来ています。

筋トレ・日ごろの運動不足解消・息抜き・風呂代わり、などなど・・・。

そこでは人員動員に必要な動機付け条件をたくさん見出すことができます。

その上、それに付随するかのようにクラブ側が提供しているサークル活動

も存在しています。


ここで考えました。


地域社会再生の為の処方箋として、フィットネスクラブを活用できないか。


表面的には「健康増進」という名目でクラブに入会しても、年月が過ぎると

顔なじみも自然と増えてきますね。

これが非常に重要なことだと思います。





民主・前原代表辞任へ、偽メールで引責

民主党の前原代表(43)は31日、党代表を辞任する意向を固め、党幹部らに伝えた。

                                              (読売新聞)

すったもんだの挙句、ようやく一つの区切りがついたこの一件。

日ごろから、「説明責任・責任把握だ!」と問い詰めていた側が墓穴を掘ってしまいました。

今、流行の言葉で言うなら、「ヒンカク(品格)」を問われる問題ですね。


社会科学の泰斗であるM・ウェーバーは、著書「職業としての政治」の中で、

政治家にとって必要不可欠な要素は、


情熱・判断力・責任感


であると、言っています。


上記の3要素を踏まえて、この事件を見てみるとおもしろいです。


去年の衆議院選で民主党は結党史上歴史的な大敗を喫し、当時、代表だった

岡田さんは「その責任」を取り代表を辞任しました。

今回の件もそうですが、民主党に顕著なのですがただ単に辞任をすると発表すれば、

国民は納得するのでしょうか?

潔さは確かに大事ですが、それを連発しすぎるとある種の「胡散臭さ」が

漂ってくる印象を受けますね。


閑話休題。


その後を引き継いだのが、今回の前原さんで、この方は松下政経塾出身者で

あり、執行部人事で塾出身者を多く登用しました。


先月の雑誌「論座」の特集で松下政経塾のルポが載っていて、

誠実で真面目、政策通であり責任感が強いが、


「何か物足りない」


と、書いてありました。


僕も同様のことを以前から思っていました。


なんというか、懐の深さ・人間的濃度がいまいち感じることはできません。


田中角栄がよく言っていた、「ヨッシャヨッシャ」的なものですね。


次世代政党としての民主党、ならびに所属議員が人間的濃度を

高めていくことは当然ですが、それに並行して高めていくことは、


「失敗からの教訓に裏づけされた決断力」


ではないのかと、僕は考えます。


きょうをもって6年間過ごした学生寮を退寮しました。


2000年の春に上京してきて、まさか6年も寮にいるとは夢にも思っていませんでした。

思えば、6年間の歳月は丁度小学校過程と同じなんですね。

この6年間で得たものは、限りなく、限りなくあります。

高校を卒業して右も左もわからなかった僕を「キョウイク」してくれたのは、

寮の先輩・同輩・後輩達でした。


飲み・バイト・女・風俗・勉強・・・などなど


走馬灯のように脳裏によみがえってきます。


今春卒寮して就職する某後輩が、


「なんか、一週間後にまたこの部屋で夜遅くまで駄弁っていそうですわ」


と、言っていました。


納得。


あのダラーっとすごした時間、寮生と喧々諤々議論を交わした時間、

朝まで飲みまくって寝ゲロしてそれを始末している時間。


僕の人生にとってこの寮での思い出は、まさしく人生の土台をつくってくれたものに

なりました。(まだ、実感としてはわからない部分はあります)


だけれども、思い出は思い出として自分の胸のアーカイブにしまっておきます。


アーカイブから出すときは、次回、寮の仲間と飲む時でいい。


前向き、「ゲンザイシンコウケイ」で人生を進んでいく選択肢しかないのだから・・・。







同時にタイトルも変更しました。


ここ一ヶ月はたくさんのことがありました。


引越し、仲間との別れ、母親との口論。


そして、自分自身の中にある弱い部分との対話。


ということで、これから頑張っていきたいと思います。

近年、わが国の財政改革について、政界・財界・学会・マスコミ等が盛んに警鐘を鳴らし、多岐にわたる議論を繰り広げている。周知の事実だが、日本の国家財政はもはや破綻、デフォルトの一歩手前まで追い詰められている。国及び地方の長期債務残高は770兆円(GDP比150%)にまで達し、主要先進国の中では最悪の状態であり、このような状況が続けば世界経済にまで影響が及ぶ。どうして、このような財政状況になったかについては割愛するが、とにかく、一刻も早く抜本的な財政構造改革をしなければこの国に未来はないのである。そして、迫りくる人口減少社会時代の到来の前に、歳出の選択と集中、多様な方法での歳入額の確保が求められる。これは、とりわけ地方行財政の場で議論されなければならない問題であり、21世紀の社会保障や教育、そして社会資本整備について地方の現場が知恵を出していくことが早急に求められる。その時、行政側だけではなく、住民・地元企業等の利害関係者を巻き込み、協働していかなければならない。協働をしていく上で、情報公開は欠かせない。その為の一つの道具として、公会計制度を積極的に導入してく必要がある。

以下では、今まで地方自治体が専ら拠り所にしていた税収だけの行政経営だけではなく、金融市場からの資金調達、具体的にはレベニュー債(事業別歳入債)について公会計が関連するところはあるのだろうかという視点からレポートしていくこととする。

国の一般会計(82兆円)のうち、歳入はおよそ47兆円。ここ数年の間、日本経済がマクロ的には上昇傾向にあり、法人税収入等が増えた為、若干増収している。それでも、残りの不足額は赤字国債による補填しなければならない。国の税収入は増えたが、それに伴って地方財政の歳入が増えているかといえばそうではない。三位一体の改革の影響で、地方交付税交付金は削減されて、地方自治体の財政状況は国の財政状況よりも悪い。地方交付税が減らされた結果、地方財政計画の主な歳出項目である投資的経費について、地方単独事業分は、中期的に事業規模の計画的抑制が図られることとなり、平成16年度においては、国の公共投資関係費の取り扱いも勘案する一方、ハコ物投資への抑制と基盤整備への重点化の推進により削減されている。

この様に、地方公共団体のきわめて厳しい財政状況から、各自治体が国からの財源で独自の事業を行うというのは困難であるといえよう。その他、見落としがちになるが、新規の公共投資などのインフラ整備に関する抑制はできても、過去の高度経済成長の時代に整備された老朽化が進む社会資本をどのようにして修繕し維持してくのかという視点が重要になってくる。

そこで、一般的にみて採算性の低い公共事業をいかに少ない税金で実施するのかという観点から、PFIを活用し、財政負担を少しでも減らせると目される事業を民間に委託することが増加している。活用を決める際は、公共部門が自ら実施した場合のコストとPFIにより実施する場合のライフサイクルコストを対比し、Value for moneyを一つの判断指標にしてPFI導入の有無を決める。

ここで考えられることは、Value for moneyなどからみてPFIの対象をならなかったような事業がある場合、どのように事業を効率化していくか、という点である。おそらく、活動基準原価計算や行政コスト計算書などを用いて特定の行政サービスを提供するのに要する原価を把握して行政経営の改善努力を行ったり、バランスシート等を活用して財務状況の安全性を厳しくチェックすることになるであろう。

これに加えて、資金調達の側面から市場のチェック機能も働かせるという点で、レベニュー債を遣うことはできないだろうか。

 レベニュー債(事業別歳入債)は、一種のプロジェクトファイナンスである。プロジェクトファイナンスは、もともと企業の信用力や不動産などの担保価値に依存するのでなく、事業そのものが生み出すキャッシュフローに返済原資を限定する融資形態である。近年、都市圏での不動産投資ファンド等の資金調達スキームに多く用いられている方法でもある。レベニュー債の返済財源は、原則として充当先のプロジェクトからの収益、例えば手数料収入や利用料などに限定される。証券形式のレベニュー際であれば、採算が厳しいが、経営面で非効率な事業の債権は不人気で流通利回りは高く(価格は下落)なる。借り換えが必要な場合には、低コストでの調達は困難になろう。このように官がPFIを利用せず、事業を内部化する道を選んだ場合に、市場の目から事業性が厳しく問われることを通じて効率化を図る道もあるように思われる。起債を抑制する、という点でも有用であろう。吉野(2004)は社会資本の効率化は必要であるものの、効率的な社会資本整備を行うインセンティブを働かせることは、なかなか困難である面が存在する為、レベニュー債はそのインセンティブを働かせることでも有意なものであるとする。公共領域に市場原理を導入し、財政逼迫に歯止めをかけるということであるので、自治体自己責任・説明責任が一層求められる。

将来的に自治体間に財務的に見て体力差が生じてくるような事態が仮に生じた場合、自治体本体の格付けが低い場合であっても、採算性の良い対象事業を切り出し、相対的に高い格付けのレベニュー債を発行して有利な調達を行う、という仕方もありえる。

 以上より、レベニュー債の発行につき発生主義に基づいた公会計の整備は必須であるといえよう。レベニュー債が金融商品としての魅力を高め、安定的な資金調達を促すためにも透明性を高め、情報開示をして、投資家に対して自治体自らがよりいっそうのIRをしていかなければならないのではないか。


旧タイトルはもしかしたら、「知られたくない人」に探られちゃう恐れがあったので、

変えますた。


これからもよろしくお願いシマース。