沈黙の春 | ホントは友達がほしいだけなんです

沈黙の春

アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。

(中略)


ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。いままで見たこともきいたこともないことが起こりだした。若鶏はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。農夫たちは、どこのだれが病気になったというはなしでもちきり。町の医者は、見たこともない病気があとからあとへと出てくるのに、とまどうばかりだった。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。何が原因か、わからない。大人だけではない。子供も死んだ。元気よく遊んでいると思った子供が急に気分が悪くなり、二、三時間後にはもう冷たくなっていた。


自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地― みな黙りこくっている。


農家では鶏が卵を産んだが、雛は孵らず、豚を飼っても、何にもならなかった。小さい子ばかり生まれ、それも二、三日で死んでしまう。リンゴの木は、溢れるばかり花をつけたが、耳をすましてもミツバチの羽音もせず、静まりかえっている。花粉は運ばれず、リンゴはならないだろう。


かつて目をたのしませた道ばたの草木は、茶色に枯れはて、まるで火をつけて焼きはらったようだ。ここをおとずれる生き物の姿もなく、沈黙が支配するだけ。小川からも、生命という生命の火は消えた。いまは、釣りにくる人もいない。魚はみんな死んだのだ。


ひさしのといのなかや屋根板のすき間から、白い細かい粒がのぞいていた。何週間前のことだったか、この白い粒が、雪のように、屋根や庭や野原や小川に降りそそいだ。


病める世界― 新しい生命の誕生をつげる声ももはやきかれない。でも、魔法をかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだった。


(沈黙の春より)

レイチェル カーソン, Rachel Carson, 青樹 簗一
沈黙の春

この本が書かれたのは今から50年以上も前です。今では当たり前のこともたくさん書かれていますが、過去の我々がなぜ過ちを犯したのかを考えるのに良い本です。



多少翻訳が弱いのと、同じような記述が繰り返しでてくるのが難点ですが、当時ベストセラーとなっただけの迫力はある一冊でした。