昨日は 祖母の命日でした
7回忌です
風ちゃんが まだ お腹の中にいたころ 91歳で亡くなりました
希望通り 自分の部屋で。
亡くなる数か月前まで 歩いて 私の勤務先にも訪れていたのになぁ
私の実の母親は 私が3歳のころ出ていったので
小さいころの思い出は祖母との出来事ばかり。
ただ 祖母も 不良オババ だったので 幼稚園に通っていたころの私が
朝起きると ひとり ということも よくありました
朝 ひとりで幼稚園に行く
幼稚園から帰っても ひとり 泣いていた記憶はない
だからといって 祖母や父親 実の母親を恨んだりということはないけど
今思うと恐ろしいですが そんな環境の中 私は 不良になることもなく 育ったわけです
これまた不思議
ただ 甘えてもいい大人が 周りにいなかったからか
私は 甘え上手な 女子には成長できず
自分に甘ーい 人間になってしまいました(笑)
そして今は 風ちゃんに 甘ーい 母親になってしまいました
その祖母のお通夜の日
私が 妊娠7か月にしては デカすぎるお腹で 受付をしていると
「誰か わかる?」 と 実の母親が現れたのです
わかる? って わかるわけないじゃん 35年も会ってないんだもの (当時)
会いたいと思ったことも無い人だし
私から 出た言葉 「お疲れ様です」 と 香典返しを渡す私。
その 実の母親は 出て行ったあとすぐに別の世帯を持ったので
私には 父親違いの弟妹がいるらしい・・
私が東京に勤務していて 青森にいない間も 青森での目撃事件が多発
大館に勤務していたころも なぜか 昼休みに私が「まるかい」にいたとの目撃情報あり
それは どうやら 会ったこともない 妹らしい
コワイ
今の継母とは 何度も何度もケンカして お母さん大好き という 気持ちを持ったことは一度もないが
それでも 自分の子でもない私を 父親が死んだ後も 娘のように接してくれることは ありがたいことです
そう 祖母が亡くなる時も 心肺マッサージをちゃんとやっていました
人との つながりは 血縁ばかりではない
ただ 相続問題に なると どうしてか 血が優先されるんですねー