「東洋経済」という雑誌に、リハビリテーションが特集されていたので購読。
普段は学会誌やジャーナルなど、インサイダーが書いたものばかりを読んでいるので、外からの目線で書かれた文章は興味深かった。
予想はしていたが、やはり「リハビリはあきらめないことが大切。病気や障害に負けない気持ちと家族の協力で、こんなにも回復しました!」という論調だった。
リハビリテーションが持つ明るい面にのみスポットを当てて期待を煽るような文脈は、まるで脳卒中になっても大丈夫と謳っているように思えなくもない。
要は、世間はリハビリの効用に期待しているのだ。
責任とやりがいを感じる一方で、過剰な期待は不幸を招くこともあるよと、忠告したい。
回復の見込みのないものにいつまでも執着し続け、障害を受け入れられずに悩み苦しい日々を過ごしている患者を、何人見てきたことだろう。
逆に、マヒで手足の機能を失っても、「しゃーない」と割り切り、朗らかに毎日を送っている人もいる。
たくさんの患者を診ていると、幸、不幸の境目は、後遺症の重さとは無関係のようにも思える。
世間の期待に応える努力と準備を怠るつもりはない。
しかし、リハビリの限界や闇の部分を提示することも、インサイダーの役割ではないかと感じた。
普段は学会誌やジャーナルなど、インサイダーが書いたものばかりを読んでいるので、外からの目線で書かれた文章は興味深かった。
予想はしていたが、やはり「リハビリはあきらめないことが大切。病気や障害に負けない気持ちと家族の協力で、こんなにも回復しました!」という論調だった。
リハビリテーションが持つ明るい面にのみスポットを当てて期待を煽るような文脈は、まるで脳卒中になっても大丈夫と謳っているように思えなくもない。
要は、世間はリハビリの効用に期待しているのだ。
責任とやりがいを感じる一方で、過剰な期待は不幸を招くこともあるよと、忠告したい。
回復の見込みのないものにいつまでも執着し続け、障害を受け入れられずに悩み苦しい日々を過ごしている患者を、何人見てきたことだろう。
逆に、マヒで手足の機能を失っても、「しゃーない」と割り切り、朗らかに毎日を送っている人もいる。
たくさんの患者を診ていると、幸、不幸の境目は、後遺症の重さとは無関係のようにも思える。
世間の期待に応える努力と準備を怠るつもりはない。
しかし、リハビリの限界や闇の部分を提示することも、インサイダーの役割ではないかと感じた。